アクロイド殺しの真犯人

 ピエール・バイヤール著/大浦康介(翻訳)『アクロイドを殺したのは誰か』(筑摩書房)を読んだ。
 私が推理小説に興味を失ったのは、というよりもとから興味を持てなかったのは、真犯人というものは、いかようにでもこじつけできると思うからである。だから登場人物の誰が犯人であろうと、そこに「どんでん返し」の驚きなどないのである。
 ピエール・バイヤールはこの本で、アガサ・クリスティ―の名作『アクロイド殺し』の誤謬を指摘し、名探偵ポアロが推理したのとは別の真犯人をあげてみせる。
 これは私がぼんやりと考えていたことが見事に立証されたようで、わが意を得たりであった。
 ピエール・バイヤールは、フロイトの『グラディヴァ』論に触れながら、しかしフロイト理論の誤謬を次のように指摘する。

「選択肢は二つしかない。ひとつは、われわれはこれといった意図のもとに書かれたわけではない芸術作品に、作者が夢にも考えなかったような傾向を押しつけることで、まったく戯画的な解釈をほどこしたに過ぎないという可能性である。その場合、われわれはあらためて、読者というものはいかに自分が捜しているもの、自分自身の内部に満ちているものを作品の中に読みとる傾向にあるかということを、身をもって立証したのだということになる。」
 この箇所は、事件捜査からヒントを得た適合の論理を支配している二元論的思考を非常によく示している。被疑者というものは犯人であるかないかのどちらかだという思考である。しかし作品解釈はどうしてこのような掟に縛られなければならないのか。フロイトの解釈は部分的に正しい、もしくはある人物については正しい、もしくはある時代においては正しいなどということがどうしてありえないのか。(193頁)

 ところで、この本はアガサ・クリスティ―の別の推理小説についても触れられているのだが、「ノーマン・ストレンジ」なる登場人物が出てくる。これがわからない。私が調べた限り、そんな名前の犯人は、クリスティーの小説に出てこないのだ。たんなる誤訳か、それとも作者が仕掛けたミステリーだろうか。該当箇所を引用しておこう。

 たしかにウルトラ級の被疑者ノーマン・ストレンジは結局真犯人であることが判明するが、しかし彼は捜査員たちが想像していたのとはちがった意外な方法で殺人を犯していた。(53頁)

アクロイドを殺したのはだれか

アクロイドを殺したのはだれか

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