山城新伍が昼間にやっていたテレビ番組に永六輔がゲストで出て、無名人名語録を紹介するというので、「まんこと言ってはいけません。ちゃんとおまんこと言いなさい」とやったのを見て、下劣なやつだと思ったことがある。
しかし、永六輔のそういう下劣なところが、わりに好きだった。
細川隆元は『戦後日本をダメにした学者・文化人』(山手書房)の中で、永六輔のことを「庶民の味方を売り物としつつ食い物にしている芸人的文化人」と批判している。
しかし、次のようなエピソードは永六輔の面目躍如といった感がある。
インディアナポリス500マイルレースを、テレビが宇宙中継することになりました。このレースは、死者の出ることで有名なカーレース。もちろん、テレビ局の首脳陣も、高い中継料を払っての番組ですから、レースがすんなりと終わってしまうほうよりかは、事故でも起こり、「死者」でも生じれば、当然にそういうシーンも放映されて、視聴率も上がるだろう、と期待しました。
ところが、中継アナウンサーの永(六輔)さんが、正直に「誰か死なないかな」と発言し、それが電波に入ってしまい大問題となりました。永さんがテレビの世界と疎遠になるハシリとなったのです。
「アマとプロの違いは死ぬか生きるかであり、三十万という観客は誰かが死ぬのをみにくるのだ。僕は確かに“誰か死なないかな”と不用意にいった。不用意ではあったが無意識ではない。しかし、もし事故が起きて誰か死んだら、中継アナウンサーの僕は何といったろう。僕はどうしただろう。……僕はそれに賭けて言ったのである。それがプロだと心ひそかに思ったのだ。もし死んだら二度と放送の世界で仕事はなかったと思う。平気で人の死ぬのを期待した男である。僕が、テレビに出るのが嫌になった遠因にあのレースの中継があるのだと思う」
永さんには、こういう庶民的な「常識」があって、観客の期待していることは、それを口にしてもいいことだ、という思想があります。それが永さんの話芸のおもしろさであると同時に、テレビ局と衝突をくり返すタネともなります。
それは永さんが反体制派であるということを、意味しません。ただ言っていいことと悪いことのケジメがつかないのです。良識という点では、永さんも放送局首脳も、五十歩百歩というべきでしょう。
(同書・119-120頁より引用)
オリンピックでも、誰か死なないかな。
- 作者: 細川隆元
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