「芝浜」異論

 親戚の葬儀に参列するための航空券代6万円が入った財布をなくして困っていた高校生のところに、見ず知らずの裕福な医師が現われて、お金を貸してくれたというニュースを見たが、なんだか浮世離れした話である。
 他人のために6万円をポンと出せる経済力もすごいし、その時点でお互いに氏名も連絡先も伝えなかったというのも理解しがたい。そもそも高校生は、どうして財布をなくしたのか。
 落としたのか、すられたのか、いずれにせよ大金の入った財布をネコババした犯人がいるのだ。私は、この犯人のことが気になってしょうがない。犯人はどこかで、このニュースを見ているのである。
「美談」となっているのを知って、ほくそ笑んでいるのやも知れぬ。なんとも薄気味が悪い。
 私が落語の「芝浜」を嫌いなのも、そこに理由がある。
 魚屋の主人が、大金の入った財布を拾う。ということは、財布を落とした人がどこかにいるのだ。この落とし主のことが気になってしょうがない。
 その財布は魚屋の女房の機転によって、拾得物として役所に届けられるが、落とし主は現われない。こういうところに作り話のご都合主義を感じて嫌だが、しかしそれにだって何か事情があるはずである。
 その財布の持ち主は、貧しく気の弱い奉公人だったやも知れぬ。鼈甲問屋の主人からさる屋敷へお使いを頼まれて、そこで集金した50両もの大金をあずかっていたやも知れぬ。しかし、帰り道で財布をなくしてしまった。主人には死んでお詫びをしようと、吾妻橋から身を投げたのやも知れぬ。
 あるいは、ばくち好きで借金まみれの左官の父親を助けるために、孝行娘が身売りをして工面した、なけなしの50両だったやも知れぬ。
「芝浜」にも「文七元結」にも、悪人は出てこないが、こういうところが作り話で嫌である。
 世の中とは、なんとも薄気味が悪いものである。

*追記 高校生がなくした財布は、駅に落し物として届けられていたとのこと。(5/24)

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