芸能人が政治的発言をするたびに、賛否の意見が飛び交う。それはその発言の内容についてというよりも、芸能人が政治的立場を表明することそのものが間違いである、といった論調が強い。逆に、アメリカでは俳優も歌手もコメディアンも、政治について積極的に発言しているのであるから、日本の芸能人もこれにならうべきであるといった意見もある。
しかしながら私は、芸能人は政治を語らなくてもよいと思っている。
芸能人のほとんどが衆議院と参議院の区別もつかないほど、政治に無知である。憲法を守れと訴えながら、憲法の全条文を読んだこともなければ、最高裁の判例すら知らないのである。
無知であるがゆえに、専門家が気づかない盲点に気づくということがあるかも知れない。だから無名の一個人として意見を言うのはけっこうである。だが、これが芸能人として、となると問題である。
なぜなら芸能人というものは、信用できない。金さえもらえば、どんな商品のコマーシャルだってやるのだ。食ったら病気になる食品であろうと、ぼったくりのアパレルだろうと、ポンコツのガラクタだろうと、くだらない本や映画だろうと、笑顔でニコニコと平気でおすすめできるのだ。それで被害者が出ようと、なんの責任も取らないのだ。
政治というものはインチキ商品以上に、人々の生活に関わり、生死を決めるものである。無知で無責任な芸能人なんかに、関わってほしくない。エコロジーだ!反原発だ!と言いながら自動車のCMに出る坂本龍一みたいなのは、世の中を悪くするだけである。
政府を批判するなら、政府に協力する企業の仕事を断れ。世の中をよくしたいと思うなら、悪徳企業の広告塔をやめろ。
井上ひさしを、私は嫌いであるし、「喜劇は権威を笑う」という喜劇観も古いのだが、たまにまともなことも書くので、次に引用しておこう。
わたしたちの周囲には、非合理な権威が、不合理な神たちがひしめき合っているようである。
たとえば、高名な数学者が数の神秘について語るのを聞くことは、わたしにとって大いなる知的よろこびであるが、なぜ彼はそのうちに、日本人ならかく生きねばならぬなどと指図をするのか。
また、わたしはビールを飲みながら、高名な俳優の出演するテレビ映画を見るのが好きだが、なぜ彼は、突然、CMの時間になると、ビールの銘柄を指定してくるのであるか。
才能豊かな作家が骨身を削って、わたしたちに珠玉の作品を提供してくれるのはありがたいことだが、だからといって、日本はこうあらねばならぬからおれの言うことを聞け、といわれても困るのだ。
(「喜劇は権威を笑う」より引用)

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