選挙に行ったら負けかなと思ってる

 どうして選挙に行かないといけないのだろう。 
 選挙に行って投票したからといって、世界が変わるわけじゃない。わたしの一票には、たかが一票の価値しかない。その一票でなにができるかと言えば、代表者(政治家)を選ぶだけである。
 選挙権があったって、国会で発言できるわけでもなければ、法律が作れるわけでもない。そういった具体的な政治権力は何ひとつ与えられない。これが日本の採用している代表民主制というものである。これとは対照的に、国民が政治的なことを直接決められる型の民主制を、直接民主制という。
 民主主義ってなんだ? と太鼓叩いて笛吹いて、国会前でデモをしている連中は、きっと我が国は直接民主制だと思っているのだろう。
 民主主義とは、国民主権のことである。国民主権には、「権力的契機」と「正当性の契機」という二つの側面がある。主権者たる国民が政治権力を持ち、直接民主制のような形で政治的意思決定まで行なえるものを「権力的契機」という。
 しかし日本は、代表民主制の国家である。国民が主権者といえども、具体的な政治権力は与えられない。政治をやるのは政治家である。主権者の役割は、代表者(政治家)を選んで、その権力行使を正当化することである。こういう場合の主権を、「正当性の契機」という。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
日本国憲法・前文)

 これはようするに、政治のことは政治家に任せましょう、わたしたち主権者は選挙に行くことで政治家の権力行使に正当化(信託)を与えますよ、ということである。
 たとえ自分が投票した候補者が落選しようが、選挙制度を認めて選挙権を行使したからには、当選した政治家がこれから行使する権力に正当化を与えたことになる。国民の主権とは、政治家に権力行使を委任し、それを正当化する根拠になるだけのものである。
 さて、そこで問題となるのが、選挙で選ばれた代表者はどの程度、選挙民の意思に拘束されるのか、ということである。
 わたしたちの声を国会に届けてください、などと言って代表者を国会に送り出すのはいいが、はたしてその代表者は選挙民の意思どおりに働いてくれるのだろうか。そもそも選挙民はどういう根拠で自分の意思を代表者に託し、また代表者はどういう根拠でそれに従わねばならないのか。
 これには、「命令委任」と「自由委任」という考え方がある。
 当選させてやったのだからわれわれの言うことを聞け、なにがなんでも憲法改正阻止、米軍基地撤廃、海外派兵禁止、選挙民との約束を守らないと損害賠償請求をするぞ、などというように選挙民の意思に拘束させようとするのを命令委任という。しかし代表者が選挙民の意思どおりに働かねばならないというのでは、選挙民が直接に政治的な意思決定をするのと変わりない。日本は、直接民主制ではない。ということは、代表者は選挙民の意思に拘束されない。憲法ではそう定められている。

憲法第43条
両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。

 島根であろうが茨城であろうが、どこの選挙区で選ばれようとその議員は「全国民を代表する」のである。全国民ということは、選挙権のない子供だって含まれる。自分を選んだ選挙区の人の命令を聞く必要はないし、そのとき交わした公約も守らなくていい。地元に新幹線の駅を作るとか、高速道路を通すとか、そんな利益誘導などとんでもない。政治家となったからには全国民のために働いてもらわなくては困る。これを自由委任の原則という。
 これは国民主権が「正当性の契機」であることから導かれる解釈である。
 しょせん政治の素人でしかない有権者は、政治のことをプロである政治家に任せたのである。だからプロである政治家は、素人の意見などに拘束されることなく、自分で判断して政治を行なえばいいのだ。まあ、有権者の意見をまったく無視して暴走されたら困るので、できるだけ有権者の意思を国家に反映すべきだ、という芦部『憲法』の社会学的代表という考えもあるが、べつに政治家が公約を破ったところで責任は問われない。それは憲法で認められている。

憲法第51条
両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。

 選挙権は義務ではなく、権利である。他人から「選挙に行け」「与党に入れるな」と強制されるいわれはない。
 誰からの圧力も受けず、自由な意思で投票できるように、秘密選挙の原則がある。誰に投票しようとその秘密は絶対に守られるのだから、デモに参加し「アベ政治を許さない」というプラカードを掲げながら、選挙では自民党候補に入れたってかまわない。投票しなくてもいい。棄権しても制裁を受けないというのが自由選挙の原則である。
 大事なことなので二回言うが、選挙権は義務ではない。選挙権を義務だと考えると、その任務を果たすためにはそれ相応の能力が必要だということになり、バカには選挙権を与えるなという主張になる。選挙権の価値はすべて平等で、一人一票というのが平等選挙の原則である。バカにも選挙権はある。バカがバカとして、自由な意思で、バカな候補者に投票してもいいし、投票しなくてもいい。有権者がどのような選択をしようとそのことで責任は問われない。これも憲法で認められている。

憲法第15条第4項
選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

 これが民主主義である。 
(参考:柴田孝之『S式生講義 入門憲法自由国民社

S式生講義 入門憲法

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