テレビでやってたので『ソロモンの偽証』を観たけど、ばかばかしい映画だった。
中学生の転落死の真相を明らかにするために、その同級生らが自分たちで裁判をやるのだが、被告人には弁護人までつくというフェアな裁判で、ちっともおもしろくない。そもそも裁判じたいが、ちっともおもしろくないものなのだ。
裁判では真相なんかあきらかにならないし、罪が裁かれることもない。悪人を本気で裁きたいなら、法律なんか無視して、集団で吊るし上げればよかったのだ。人民裁判である。
それで最後に検事役の少女が、「自分の罪は、自分で背負っていくしかないんだよ」なんてことを言うのだが、大人でもこういうセリフを好む人がいるが、背負ったからどうだと言うのか。どうせ何もしない。自分に罪があると思うなら、被害者に損害賠償ぐらいしろよ。
法律は正義じゃない。それはきわめて不完全なシステムなんだ。もし君がいくつかの正しいボタンを押し、加えて運が良ければ、正義が正しい答えとしてあるいは飛び出してくるかもしれん。法律というものが本来目指しているのは、メカニズム以上の何ものでもないんだ。
(レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』村上春樹訳・早川書房・P79)
裁判で解決できるのは、被害に対する金銭賠償にすぎません。よくニュースなどで、裁判で徹底的に真相を解明すべきだと叫ぶ声を耳にしますが、それは絶対に不可能です。裁判で争われるのは法律上の「争点」にすぎず、判決も、「争点」に対する判断を下すだけです。隣地との境界紛争で裁判所が決められるのは「正しい公法上の境界」だけであって、隣人の人間性がいかに極悪非道であるかというようなことは争点にすらならないのです。
(荘司雅彦『本当にあったトンデモ法律トラブル』幻冬舎新書・P228)