音楽という暴力

数年前に話題になった映像である。
 タイムズスクエアで、一人の牧師がスピーチを行っている。イスラム教を糾弾するその内容に、誰かが抗議の声を上げる。しかし牧師は意に介さずスピーチを続ける。とつぜん、ある男性がビートルズの「All You Need Is Love(愛こそはすべて)」を歌いだす。
 するとまわりにいた群衆がそれに呼応して、一緒に歌い始める。合唱の声はしだいに高まり、それに押されて牧師は退散する。
 ひどいものだと思った。この牧師が、ではなく、その牧師の主張を歌声でかき消した群集が、である。もちろん牧師のスピーチはひどいものである。しかし、どれほどひどい主張であろうと、言論の自由は守られねばならない。牧師の主張が気に食わなければ、言葉によって反論すればいいのだ。気のすむまでとことん議論すればいいのだ。それが民主主義である。
 しかし、ビートルズを歌い出した男はちがう。議論に参加することなく、外部から一方的に音楽という武器を使って牧師を攻撃したのである。「愛こそはすべて」だというのが自分の意見なら、言葉でそう牧師に伝えればいいのである。そこからまた議論が始まるだろう。それをしないで音楽で相手を屈服させようとするのは、暴力である。それに呼応して合唱を始めた群衆はその暴力に加担したのである。主張の正しさではなく、音楽という暴力によって、相手を屈服させたのである。
 こういう連中には言葉が通じない。太鼓をたたき、ラッパを吹き鳴らし、仲間を集めて騒ぎ立て、異論を封じ込めるのだ。