連帯責任は正しい

 野球部員が飲酒や喫煙や万引きや暴力行為などの問題を起こすと、そのチームは対外試合を自粛したり謹慎したりする。たった一人の部員の不始末のせいで、なぜチーム全体が責任を負わなければならないのか。おかしいではないか、という意見があるが、はたしてそうか。
 一人の部員にすべての責任を負わせるべきか。むしろ野球部の体質が、そういう部員を生んだのではないか。指導する立場の監督や教師の責任のほうが大きいのではないか。これは未成年者の犯罪について、人権派弁護士が使う論法と同じである。いわく、少年が罪を犯したのは、家庭に問題がある、社会が悪い。であるなら、一人の野球部員が罪を犯したのは、そのチーム全体に責任がある、学校に責任がある。
 それならその責任をどう問うのか。人権派弁護士はそれに答えられない。なぜなら刑法の原則は、個人責任である。連帯責任を問うのは、刑法の原則を否定することになる。未成年の犯罪者は悪くない、悪いのは周囲の人たちである。そこまではいい。しかし、犯罪者に罰を与えず、かといって周囲の人たちを罰することもできない。結局、誰も罰を受けない。こんなことで社会秩序は守られるのか。
 そこで連帯責任である。