干されない人たち

 紅白で斉藤和義が「NUKE IS OVER(原子力は終わった)」と書かれたギターストラップを付けて出演したことが話題となっている。斉藤は福島の原発事故が起こった際にも、「ずっとウソだった」という脱原発ソングをYouTubeにアップしている。
 自分の信念において、脱原発を主張することは一向にかまわない。むしろ政治的主張をすることこそロック歌手にふさわしい。しかし脱原発をかかげる人間が、大量の電力を消費するロックバンドを従え、大量の電力の消費によって作られるきらびやかなステージに立っているというのは、恥ずかしくないか。
 山本太郎脱原発の主張をしたことで、仕事を干された。しかし斉藤和義は逆に知名度を高め、紅白歌合戦にも出場するほどの活躍ぶりである。このちがいは、何であろうか。
 そもそも現在において脱原発を主張することは、さほど過激でもないし反体制でもない。2012年2月11日の毎日新聞朝刊には大々的に、「私たちは原発のない日本をめざします」という意見広告が出され、これには約150人の賛同者の氏名が記されている。
 呼びかけ人の中沢新一内田樹いとうせいこうを始め、香ばしいお歴々が勢ぞろいだが、こうして表立って脱原発を主張したところで、山本太郎のように仕事を干されたという話は聞かない。賛同者の側も、マスコミの仕事すべてを失う覚悟でこれに署名しているわけではなかろう。
 なかには大宮エリーのように、かつては原発安全PR記事に出ていながら、震災後にコロッと転じて脱原発の新聞広告に名を連ねるというカメレオンのような文化人もいるが、それで干されるどころか、ますます名を売って斉藤和義とも一緒に仕事をする活躍ぶりである。
 ではなぜ、山本太郎だけが干されたのか。山本太郎の戦い方の、なにがまずかったのか。
 小林多喜二という作家がいた。国家権力による言論弾圧にも屈せずペンによって戦い、特高警察に捕まるも、獄中で拷問されても主張を曲げなかった。その一徹さによって小林多喜二は、いまなお反体制の人たちにとっては英雄である。
 しかし、その抵抗には実質的な効力があったのか? と疑問を呈したのが、加藤典洋『僕が批評家になったわけ』である。
 戦時下の日本、治安維持法のもと、自由な言論活動は弾圧されていた。こうした状況下において、戦争反対、などと表立って主張するのはたとえそれが正論であっても摘発されて当然である。それでも勇気をもって反戦を訴えた人たちはいた。小林多喜二もそうである。しかし、その結果どうなるかは、わかりきっている。すみやかに逮捕されて監獄にぶち込まれるのである。以後、書き手としては現れなくなる。それでは知識人としてあまりに無責任ではないのか? というのが加藤典洋の問いかけである。

抵抗の内実とは、戦争が始まる前であれば理由を挙げてその戦争の開戦に反対であることを言論人として述べることだろうし、戦争が始まった上は理由を挙げてその戦争に反対であることを述べ、その戦争を一刻も早く終えさせるべく、一般公衆ないし読者層に働きかけることだろう。しかしそれを、言論統制の規制に引っかからない形で持続的に行うのでなければあまり意味はないことになる。
(引用・加藤典洋『僕が批評家になったわけ』岩波書店

 逮捕されたら、それでその者の反体制活動は途絶えるのである。本当に社会を改革したいと思うなら、弾圧されないように工夫して、体制の中にいながらも、それを変革するという目的のために抵抗を続けるのが、意味のある戦い方である。戦時下において、こうした抵抗を持続させた者として、石橋湛山の名を加藤は挙げている。
 山本太郎のように干されてしまえば終わりなのである。メジャーな場での発言の機会は奪われ、一般大衆から隔離されてしまう。それよりも斉藤和義大宮エリーやその他のように、たとえ二枚舌の卑怯者といわれようとも、業界で電波芸者としてうまいこと立ち回りながら虚名を博し、バカな大衆相手に脱原発をちょこちょこっと吹き込んでいく方が、結果的には多くの人に届くのである。脱原発派の坂本龍一が、臆面もなく日産リーフのCMに出るようなものである。
 もっとも、戦争を止められなかったことにおいては、小林多喜二石橋湛山も同じである。たとえ無意味な戦いであっても、小林多喜二の生き方は、人を鼓舞する。体制に反抗する者たちの魂を鼓舞する。これこそロックである。斉藤和義とかいう歌手より、山本太郎の方がよほどロックである。