エロを巡る旅

 ヴィンセント・ギャロの「ブラウン・バニー」を見たけど、よくわからなかった。退屈な映画であることはたしかだし、あの恋人がじつは死んでいるというオチは、たいていの人は途中で気づくだろう。恋人の両親が茶色いウサギを飼っていて、じつは狂っているということを表現するシーンは、なかなかうまいと思った(だからブラウン・バニーか)。しかし父と母の両方とも狂っているという設定は、ちょっとおかしい。
 わからないのは、わざわざ何人もの女をひっかけては捨てていく主人公の心理で、恋人の面影が忘れられずにあえて非道な行為に走るということを表したいのかとも思うが、俺にはたんに身勝手なクソ野郎に見えてしまった。さらに、なんで自分の恋人がドラッグやって男たちに輪姦されている現場を見ているのに、助けもせずに立ち去るのか。よくよく考えてみると、めちゃくちゃなシナリオである。
 それで映画の大部分が、カリフォルニアへ向う車のフロントガラス越しに撮られた映像なのである。ハイウェイが続くだけの、クソつまらん映像。こういう退屈な映像をわざと長々と見せるのがアート系の特徴ではあるが、杉作J太郎の「任侠秘録人間狩り」でも熱海へ向う車の中から撮った映像を延々と使っている。オサレなアート系映画のファンは、ゴダールの「アルファヴィル」なら見るだろうが、杉作J太郎は見ないと思うのであえて書いておく。
 それでなぜ俺がこんな映画を観ようと思ったかであるが、正直に書くとこの映画にハードコアなシーンがあるとの書き込みを見たからである。正直に書くと、そういうシーンが見たいからDVDを借りたのである。ところがこの映画にあったのは、主役を兼ねているヴィンセント・ギャロがタロ芋のようなペニス出してそれを女優に口淫させるだけという、あまり私を怒らせないほうがいい、と思わず言いたくなるようなシーンであった。そういえば「任侠秘録人間狩り」でも、ヤクザがキンタマをつぶされるというハードコアと言えば言えるようなシーンがあった。ヴィンセント・ギャロは、アメリカの杉作J太郎である。
 そういえば数年前に私は、東京都写真美術館で開催されていた「ラヴズ・ボディ 生と性を巡る表現」という写真展を見にいったのであるが、これも正直に告白するならば、おそらくエロい写真が展示されているのだと思って見にいったのである。しかし会場にはなぜか男のヌード写真ばかりが展示されており、そこでようやく私は自分のエロい期待が誤解に基づくものだと気づいたのである。その写真展であるが、どうやらゲイの写真家が男性のヌードを撮ったもので、しかもその男性はエイズで死んだという。