キャラクター映画

 三木聡監督の『ダメジン』を見る。この監督の映画は何本か見て、だいたいもう作風がわかった。
 いわゆるキャラクター映画である。いわゆる、と書いたがこの名付け親は俺なので、今は誰も「キャラクター映画」という言葉を知らないだろう。じつは俺もさっき思いついたところだ。
 それはそれとして、キャラクター映画とは何かというと、キャラクターしかない映画のことである。この監督の映画はたいていそうで、おかしなキャラクターが出てきて、おかしなことをする。それがまあ笑えることもあるのだが、ストーリーはなきに等しい。ようするにテレビのバラエティー番組である。松本人志の映画もそうだ。最近の若手監督の映画にも、じつにこの手のものが多い。
 こういうのが不条理だとか、シュールだとかいってもてはやされる。かつて呉智英は、吉田戦車らの4コマ漫画がシュールだと評価されていることについて、あれはシュール・リアリズムとは何の関係もなく、たんにおかしなキャラクターがおかしなことをやって笑わせているだけだ、と断じた。ようするにテレビのお笑い番組と同じである、と。テレビを見ない呉智英先生の意見であるが、これは正しかった。
 こういうことが映画でも起こっていると俺は思う。ようするに、もう飽きた。