クレバー・ハンス錯誤とピグマリオン効果

 先日もちょっと紹介した『ものの見方考え方・第2集・手品・トリック・超能力』(季節社)という本に、「クレバー・ハンス」という馬のことが載っていた。
 この飼い主はフォン・オステンという人で、高等動物には人間と同じくらいの知能があるという考えの持ち主で、それを証明しようと、一頭の馬に、小学校の教程に準じた方法で訓練・教育を施した。
 するとこの「ハンス」という馬は、やがてアルファベットの文字を理解し、数学の問題を解き、日付や時刻を答えるまでになった。もちろん馬がしゃべれるわけではないから、飼い主が出す質問に、「はい・いいえ」は首の運動で答え、数は前足の蹄でそれに相当する数だけ床を叩く、という方法で答えた。
 この馬はたちまち評判となり、「クレバー・ハンス(りこうなハンス)」と呼ばれるようになった。
 とはいえ、馬に言葉がわかり、計算ができるわけがない。
 調査した結果、この馬は、質問をする飼い主のわずかな体の動きを察知して、正解を出していた。
 馬のハンスは、飼い主が質問を出すと、とりあえず床を叩き始める。飼い主は質問の答えを知っている。ハンスの足が正解の打数を打ち終えると、「ここで終わるはずだ」といった願望などから、飼い主の頭部や胴体に無意識の動きが現れる。ハンスはそれに反応して、足で床を打つのをやめる。そして飼い主から、正解のご褒美のニンジンをもらう。
 つまりこの馬は、計算問題に答えていたわけではなく、飼い主の動きに反応していただけなのだ。そうすればエサがもらえるという理由で。
 この事件はその後、動物の観察と実験の方法論に多大な影響を及ぼすことになった。この解明によってはじめて、動物に対する観察者の無意識の影響が、観察や実験の結果に致命的な影響を与えることが明らかにされた。これを、「クレバー・ハンス効果」*1と呼ぶ。
 これによれば、警察犬だって、捜査官の無意識の動きに影響を受けるはずなのだ。「あの男があやしい」と考える捜査官が、警察犬に無意識の合図を送っていることはじゅうぶんに考えられる。なお、この本によれば、こうしたことを踏まえて、警察犬の訓練には特別の注意が払われているという。
 さらに、この一件は、教育心理学にも影響を与えた。
 前掲書80ページからの孫引きになるが、永野重史は『心理学を学ぶ』(有斐閣)のなかで、次のように書いている。

「教師が教えるつもりでいたことが、そのまま学習者に伝わると考えるのは誤りだ」
(飼い主は自分の教えたことを馬のハンスが正しく理解していると考えていた)

「正答が出たからといって、そのことからすぐに子どもが正しく考えていると判断してはいけない」
(飼い主は、ハンスの答はハンスの思考の結果であると考えていた)

「どんなにすぐれている教授法といえども、学習者しだいでは何の効果も示さない」
(飼い主は忍耐強く、順序よくハンスを訓練・教育したが、思考能力のないハンスにとっては、相手のわずかな動きを読みとる条件反射の訓練になっただけであった)

 しかし、マイナス面ばかりではなく、これを積極的に解釈する教育心理学者もいる。
 R・ローゼンタールらは、生徒の知能テストの成績を、その担任教師に知られないようにいじって、「この生徒はできる」という期待を教師にもたせると、実際にその生徒の成績は良くなったという。これを「ピグマリオン効果」とよぶ。

ピグマリオン効果とは)教師が生徒の現在または将来の学業や行動についてある期待をいだくと、教師はその期待を実現するようなやり方で行動するようになり、その結果、生徒の学業達成度などが教師の期待に近づくことがある。このような期待のもたらす効果をいう。
(前掲書80ページから引用。『新教育の辞典』平凡社・1979)

超能力・トリック・手品 (ものの見方考え方文庫)

超能力・トリック・手品 (ものの見方考え方文庫)

*1:訳語によっては「クレバー・ハンス錯誤 Clever Hans Error」