生涯に一作か二作

ロイ・アンダーソン監督の『散歩する惑星』というのは、ふしぎな映画だった。
みょうに間合いが長くて、おかしな人物がいろいろ出てきて、それぞれのエピソードがなんとなくつながっていて、映像に独特のふんいきがあっておもしろかった。
CGを一切使わず、プロの俳優も使わず、出演者はみんな街でスカウトしてきた素人だとか。たしかにこの手作り感は、ジャンクフードではなくて、一流レストランの味を思わせる。
構想20年、撮影4年。莫大な時間と製作費、そして気の遠くなるような労力をかけたというのだからすごい。こんなスタイルで商業映画が撮れるわけもないから、当然寡作。
この映画から7年たってようやく新作の『愛おしき隣人』が公開された。次回作の予定もあるようだが、たぶんもう終わりだろう。
しかしこの監督の映画はもっと見てみたいという気にさせるわけで、そのために多少のクオリティを落とすことは妥協してもらって、CGを使って早く安く撮ってもらいたいと思うわけだが、そうすることで失われるものとは果たして何なのだろうか。

中条省平氏がコラムで「CGの功罪」ということを書いている。

かつてイームズ夫妻が作った実験映画『パワーズ・オブ・テン』の革新的な映像が、最近の映画ではCGを使っていとも簡単にパクられていると批判している。

このトリック撮影は、椅子(いす)の設計で有名なイームズ夫妻が昔作った実験映画『パワーズ・オブ・テン』の完全なパクリです。しかも、CG全盛の今、じつに簡単に合成できます。恥を知れといいたくなります
イームズ夫妻はこの独創的なアイデアを実現するため、フィルムをひとコマずつ撮るなど、気の遠くなるような手作りの作業を重ねました。だからこそ、『パワーズ・オブ・テン』の映像には生々しい驚きがみなぎっているのです。非人間的に滑らかなCGにはそんな驚異の感覚はまったくありません。

映画がCGによってどれほど貴重な驚きを失ったか、先ごろ出版された『レイ・ハリーハウゼン大全』を見ればよく分かります。
【邂逅 カルチャー時評】2009.5.3 09:41より引用


たしかにこういう考え方もある。しかしたった10分足らずの映像に手作りの膨大な手間をかけていたら、商業映画なんて撮れないだろう。
ロイ・アンダーソンはCF界の巨匠ということだし、イームズ夫妻の本職もデザイナーである。だからこそこうした個人的な芸術映画に膨大な手間をかけるだけの余裕と時間があったのだといえる。
それで、かつては見ることさえ一苦労だった『パワーズ・オブ・テン』の映像であるが、youtubeにあるんじゃないかと思って探したら、やっぱりあった。ワンクリックで見てしまうなんて、恥を知る。


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