虫歯、または自死

歯が、猛烈に痛み出して、七転八倒の苦しみ。

バレンタインデーの呪いか。チョコレート怖い。

おれの羊水も腐ったのか。しょせん男は、生理痛も出産の痛みもわかりませんが、これで、おれの中からなにかが産まれてきたら、「あたしが歯を痛めて産んだ子だから」とか、父性本能に目覚めて、子煩悩になりそうです。

歯医者に行ったら、ようやくちょっとましに。
ああ、おお、ああ、西洋医学よ。漢方も民間療法も、この痛みには無力だ。

映画『バベル』では、モロッコを旅行中に妻が銃撃にあい、運ばれた村で診察に出てきたのは獣医。「まともな医者はいないのか!」と叫ぶブラピ。

映画『小さな中国のお針子』では、文化大革命の当時、ブルジョア家庭の青年が、反革命分子と指弾され、再教育のために山奥の村に送り込まれる。青年は風邪をひくが、医師もいないし薬もない。村人Aは、青年を裸にし、その背中を柳の枝で叩く。

村人A「こうすれば、すぐになおる」
村人B「えんじゅの枝のほうが、効くんじゃないか」
村人C「いや、ヨモギがいちばん効く」
そのうちに青年は、裸のまま村人に抱えあげられ、熱を下げるためと称し、湖に放り込まれる。

ああ、おお、ああ、西洋医学よ。近代化とは、西洋医学を受容することなのか。


須原一秀自死という生き方』(双葉社

これまで、老衰(自然死)というものは、おだやかな眠るような死、と思われてきたが、じつのところ大多数は、耐え難い苦痛の時期を経て死に至るのだという。

特に疾患のない老衰死でも、身体中の諸器官が、同時並行して衰え停止する例など、奇跡に近い。ほとんどの場合、先にだめになる部分があり、そこから苦痛は生じ、死ぬまでやまない。

寝たきりの老人というのは、じつは全身の激痛に、のた打ち回ることもできぬまま、じっと耐えているのである。この長きにわたる激痛と、一瞬で絶命させられる死刑とでは、どちらが残酷か?

哲学者の須原一秀氏は、心身ともに健康であったにもかかわらず、やがて老い自死する気力が失われるのを恐れ、65歳で、この最後の原稿を完成させたあと、首吊り自殺した。

鶴見済の『完全自殺マニュアル』が、絶望や虚無、社会への憎悪を強調していたのに対し、『自死という生き方』は、人生を肯定し、その果実を味わい尽くしたうえでの自死を説く。

自らの思想に殉じた姿には、たしかに潔さを感じるが、どこか「自爆テロ」に通じる部分もあるように、おれは思う。

まあ、自殺や自爆テロであろうと、心情的には理解できる部分もあるので、この歯の痛みが一年も続いたら、死んだ方がましと思えるかもしれぬが。
限りなく透明に近いブルー』や『灰色のコカコーラ』の、登場人物のように、鎮痛剤をぼりぼり食いながらだと、あまり考えもまとまらず、でも、美人の看護婦さんにモルヒネでも打ってもらって、幻覚を見るような楽しみもあるかも知れぬし、澁澤龍彦はたしか、麻酔薬で幻覚を見たあとに、即死したんだっけ。

だがしかし、安楽な死などない。
「患者を安楽に死なせる」ことを認めない西洋医学は、最後の最後において、何の助けにもならない。
ああ、おお、ああ。
生きるも地獄、死ぬのも地獄。

死とは何か。
絶えがたき苦痛のことだ。
死ぬな。
とりあえず生きてろ。
死のうとすると痛いぞ。