「お芝居」としての『北の零年』

クリスマスの夜に、独りで、日曜洋画劇場北の零年』を見ておりました。
いやあ、突っ込みどころ満載の映画でした。

吉永小百合は、年齢のわりには、若いようですが、渡辺謙の妻役というのは…。娘が、石原さとみって。いったい、いくつの時の子供ですか。

このキャスティングで思うのは、ようするに、森光子のお芝居と同じものだなあ、と。『放浪記』というのは、見たことないんですが、森光子さんが、セーラー服を着て、女学生を演じている場面を、ワイドショーでやっていて、ああ、こういうのが許される舞台なんだなあ、と思ったことがあって、
ようするに『北の零年』も、その手の、お芝居と同じものかと。

吉永小百合一座の、公演と申しますか。

おれは、べつに嫌いではなくて、『泥だらけの純情』と『キューポラのある街』は、邦画のベストだと思っておりますけど。

しかしまあ、北海道の開墾に命をかけた、移民団の物語、という史実を、背景にはしていますが、映画は、リアリズムが欠如しております。
特に後半は話が飛びすぎで、吹雪の中で、遭難しかけた母娘が、馬に乗って現れたアメリカ人に、命を救われるのですが、「五年後」というテロップひとつで、なぜか次の場面では、どこだかわからない村で牧場主となっており、命の恩人のアメリカ人は、何者かの説明もなく、それ以降、画面に現れることもない。
おまけに、馬でいける距離にある役所では、かつての家臣たちが、役人となっているのに、役所から呼びつけられて、初めてそれに気づくというのは、いくらなんでも。

妻を略奪された柳葉敏郎が、その仇敵である香川照之の下で、おとなしく働いていたり、頭から油をかぶって、焼身自殺を試みた農民が、生きてたり、

捕まれば死罪になるであろう豊川悦司に向かって、「あなたは、生きてください」なんて言われてもなあ…。

でもまあ、田舎のご老人たちが、団体旅行で見に来るお芝居だと思えば、まあいいや。子役の、大後寿々花ちゃんは、かわいかったし。

おれも、ジジイになったら、紙オムツを当てられ、介護ヘルパーの女性に、「ほら、おじいちゃんの好きな沢尻エリカさんが、テレビに出てますよ」なんて、言われるのかも知れぬなあ…。

クリスマスの夜に、そんなことを考える、おれ。

しかしまあ、行定勲なんかに、三島由紀夫の遺族は、よく『春の雪』を撮らせたな。