デマを流したのは誰か? こべに氏に抗議する

目次

真偽不明の情報源

新婚さんいらっしゃい!」という番組があります。
 あれに出演した夫婦を知っていますが、「収録ではまじめなことも話したのに、オンエアでは全部カットされて性的なエピソードだけ使われた」と怒っていました。
 あの手の番組は、編集によって面白おかしく作られていることは、誰でも知っています。したがって、あの手の番組の情報は信頼できません。
 同じことは雑誌の記事についても言えます。
 芸能人のインタビュー記事。その情報の真偽は、読者にはわかりません。
 本人が嘘をついているかもしれない。誇張しているかもしれない、しゃべってないことをライターが加筆しているかもしれない、編集者が話の前後を入れ替えているかもしれない、あらゆる可能性が考えられます。

 小山田圭吾のインタビュー記事は、どれも真偽が不明です。したがって、これをもとに事実を検証することはできません。
 人気ブロガー、こべに氏は「小山田圭吾氏いじめ記事に関する検証」という記事を書かれていますが、検証の第一歩から間違っています。id:kobeni_08

www.kobeniblog.com
makitani.net
makitani.net

小山田圭吾の謝罪文

 こべに氏の検証によると、小山田圭吾と障害児は友人だったそうです。しかし小山田圭吾は謝罪文で、それを否定しています。

 本来は楽しい思い出を作るはずである学校生活において、良い友人にならず、それどころか傷付ける立場になってしまったことに、深い後悔と責任を感じております。
(引用元 小山田圭吾の謝罪文)

 当人による謝罪文と、こべに氏が引用した「いじめ紀行」の記述と、いったいどちらが信用できる情報源でしょうか。こべに氏が事実を検証するというのであれば、この矛盾を解決しなければなりません。
 小山田圭吾が「良い友人にならず」「傷付ける立場になってしまった」と謝罪したことを、証拠によって否定しなければなりません。
 それができなければ、元記事から都合の良い記述だけを意図的に切り貼りして、印象操作を図っていることになります。

 今のところ、情報源として確かなのは、版元の太田出版による謝罪声明、「ロッキング・オン・ジャパン」の山崎洋一郎編集長による謝罪文、「GiGS」編集部による謝罪文、そして小山田圭吾による謝罪文です。
 いずれも元記事の内容は、差別を助長する不適切なものであると認めています。

 知的障害者の親らでつくる「全国手をつなぐ育成連合会」や、障害者の当事者団体で作る「DPI日本会議」、一般社団法人「日本自閉症協会」による声明でも、差別記事だという認識は変わりません。

 こべに氏による検証は、これらの謝罪文や声明に全く触れていません。都合の悪い証拠は無視するというのでは、検証の名に値しません。彼らの見解が間違いであるという証拠をお持ちですか。
 それとも、障害者団体にさえ抗議するつもりでしょうか。

 どうやら文献調査にも史料批判にも無知なようなので、こべに氏には事実を検証する能力がありません。こんなことに関わっても御自身の評判を落とすだけなので、撤退した方がよろしいかと思います。
 まともなお友達は去っていき、集まってくるのは、障害者を同じ人間とは思ってないような人たちです。
 こべに氏にその自覚がなくても、差別を助長しています。

zen-iku.jp
www.dpi-japan.org

一般社団法人日本自閉症協会による声明
http://www.autism-japan.org/action2/2021/20210806seimei.pdf
www.asahi.com

こべに氏によるフェイクニュース

 こべに氏は、私のブログ記事「小山田圭吾における人間の研究」を取り上げて、『クイック・ジャパン』に「記載されたすべての行為を、小山田氏がやったかのように見せ」ていると批判しています。
 しかし、私は当該ブログにおいて、小山田圭吾がいじめを「やった」とは一言も書いていません。

 雑誌の記事に信憑性がないことをわかったうえで、それでもこの記事は間違いなく人権侵害だという観点から、慎重に記事を書いています。当該ブログから引用します。

・以下は、すべてこの雑誌に掲載された、小山田圭吾の発言です。(四角で囲ってある部分)
・再び、小山田の発言からの引用を続けます。
・ラストでの、小山田圭吾とライター・村上清の対談から引用します。

 このように、地の文章と、雑誌での小山田圭吾の発言とを明確に区別しています。
 地の文章においては、決して小山田圭吾がいじめを「やった」とは書いていません。

 こうした配慮は、私に著作権法の知識があるからできることです。「明確性」「明瞭区別性」「必要性」「出典元の明記」「改変しないこと」という、引用の条件を守っています。特に元記事の改変をしていないことは重要で、この記事を捏造だとかデマだとかいうのは全くの誹謗中傷です。

 作者が地の文章に書いてないことを読者が勝手に解釈するのは、誤読というものです。
 誤読するのは、読者が悪いのです。桜庭一樹の小説を誤読した鴻巣友季子のように。

 小山田圭吾がいじめをやったというのがデマなら、こべにもそのデマを広めていることになる。


作者の意図

 ブログ記事のメインは地の文章であり、引用部分はあくまでも補足です。
 では、「小山田圭吾における人間の研究」とは、どういう記事なのでしょうか。これは地の文章にはっきりと書いているように、アーチストの人格と作品との関連について論評したものです。

 こういう人物が作る音楽が、本当に、人を感動させることがあるのだろうか。
 それでも彼の音楽が、多くの人を感動させているのだとするなら、そもそも、音楽とは何か? 芸術とは何か? ということを、おれは問うてみたいわけです。
(引用元「小山田圭吾における人間の研究」)

 15年も前に書いたものを今読み返すと、青臭いながら私はじつに素直に、そして真摯に問いかけています。当時の私は、誰か頭のいい人が、この疑問に答えてくれないものかと思って、こう問いかけてみたのです。真剣に、答えが知りたかったのだろうと思います。

 こべに氏は、中学生が国語の授業で習うように、作者の意図を読み取ることが読解だと思っているようです。だから私が当該記事を書いた意図を説明しました。
 作者である私が言っているのだから、これ以上確かなことはありません。作者の意図に反する読解はすべて誤読である、ということでいいですよね。

 こべに氏が私のブログについて書いたことは、間違っています。デタラメです。悪質な印象操作です。
 生半可な知識で、いいかげんな感想を書き散らさないでください。事実を検証するなら、もっと基本的なことから勉強してください。
 こべに氏が、いかに悪辣な印象操作をしているか、以下に引用します。

2 「ツイートが根拠としているのは…」

炎上の発端となったツイートが何を引用元としたかの記載。水色下線を見て頂ければわかるが、これはRT数や、また毎日新聞の別の記者がRTをしたことからも、「はるみ」氏のアカウントのツイートを指していると推定できる。

「はるみ」氏のアカウントが引用したのは、原典の雑誌記事ではない。「孤立無援のブログ」の記事だ。7/15時点の「小山田圭吾における人間の研究」を原典と比較してみると、「ファンになっていた」や「引いちゃうっていうか」など、本人がいじめ行為を「していない」と述べている箇所を、QJ原文から意図的に削除していることがわかる。

記載されたすべての行為を、小山田氏がやったかのように見せ、またそれを文中で

「こういうことを、悪びれることもなく、しゃべる、小山田圭吾という人物の、品性とは何か、と思うわけですが、」

等とまとめている。これをそのまま鵜呑みにすれば、「はるみ」氏が「障害のある同級生への壮絶ないじめを武勇伝のように語っている」という感想を抱くのも無理はない。
(引用元 id:kobeni_08小山田圭吾氏いじめ記事に関する検証」 強調・筆者)

 いかにも客観的な事実であるかのような、もっともらしいことを書いていますが、まったくのデタラメです。
「これをそのまま鵜呑みにすれば」「という感想を抱くのも無理はない」などという憶測を並べた感想文を書いているだけです。

 こべに氏が引用した「こういうことを、悪びれることもなく、しゃべる、小山田圭吾という人物の、品性とは何か、と思うわけですが」 の後に、前述した「音楽とは何か? 芸術とは何か?」という私の真摯な問いかけが続きます。
 またここでも私は、「しゃべる」と確かに書いており、小山田圭吾が「やった」とは書いていません。あくまで小山田圭吾が雑誌で発言したとされるその言葉を問題にしています。

 こべに氏は、私のブログから恣意的に一文を切り取って、悪意ある記事に仕立てているのです。
 北尾修一と同じです。

サンプリングとパロディ

 私が恣意的な引用をしていると批判しているのも、北尾修一と同じです。
 読者が読んで、小山田圭吾がいじめを「やった」と誤読したのは、私の引用の仕方が悪いからだと言いたいようです。しかし、その引用部分とは、すべて元記事の記述です。私は元記事を、一字たりとも改変していません。
 読者が読んで、これはひどい差別発言だ、と思ったのはすべて元記事にある記述です。私が書いた地の文章ではありません。

 何度も書きますが、元記事が差別なのです。
 元記事を読めば、小山田圭吾と沢田君は友人関係だったとわかる、というその解釈自体が、差別の助長であり、被害者への加害なのです。
 荻上チキは、TBSラジオ「Session」(2021.7.19放送)で、次のように語っています。

 今回のは、過去のいじめ加害というのが何かのきっかけで発覚した事案ではないんです。そうではなくて、小山田圭吾氏が繰り返し過去のインタビューの中で、攻撃的・露悪的な仕方で、いじめの手法というものを赤裸々に語っていた。それを読んだ人達に対して当然不快感も与えるかもしれないけれども、それを一つのエンターテイメントとして味わってほしいというか読んでほしい、というような文脈でその内容を提供している、ということになるわけですよね。そうするといじめとか差別というのをむしろ軽視するような発信というものを、アーティストになってから行なっていた問題、ということがここに関わってくるわけです。

note.com

 事実誤認があるというなら、荻上チキにも勝手に抗議してください。
 
 こべに氏も北尾修一も、私の引用の仕方がカットアップだと批判しています。
 引用の仕方もまた、批評であることを知らないのです。文芸批評など読んだこともないのでしょう。
 そもそも引用とは、テキストを切り貼りすることです。カットアップでない引用の仕方があるなら教えてもらいたいものです。
 カットアップ、サンプリング、リミックス、とは前衛芸術から生まれた表現方法ですが、今では広く知られています。

bijutsutecho.com

 こんなことは改めて説明するまでもないことですが、小山田圭吾のファンで、サンプリングを知らない人はいないでしょう。
 暴力温泉芸者のアルバム『QUE SERA SERA』には小山田圭吾が参加していますが、その楽曲には「バリバラ」出演者であるTASKE氏の声が無許可でサンプリングされています。

 ここでまた作者の意図を説明しますが、「小山田圭吾における人間の研究」の引用部分は、元記事から小山田圭吾の発言をサンプリングしています。小山田圭吾が音楽制作で得意とする手法を、文字で再現してみるという趣向です。パロディによる批評です。
 もちろんパロディという手法も、広く知られています。
 当ブログの他の記事を読めば、「ケロケロケロ、アッケラカーのカー」などというふざけたパロディばかりだとわかるはずです。まあ、パロディを理解するにも教養が必要なので、「ネタにマジレス」する者もいるわけですが。

小山田圭吾における人間の研究」の作者という立場では、私は一次情報を持っています。だから私がこれを書いた意図を説明しました。
 こべに氏は、一次情報者である私の見解を、ぜひ検証記事に反映させてください。




youtu.be

まとめ

 長々と書いたので、要点をまとめます。

・真偽不明の雑誌記事は、事実の検証に使えない。
・「小山田圭吾における人間の研究」の地の文章に、小山田圭吾がいじめを「やった」との記述は一言もない。
・読者が読んだのは元記事の記述であり、誤読させたのも元記事が悪い。
・「いじめ紀行」そのものが差別記事である。
・その差別記事をもとに検証し、拡散するのは、差別を助長し、被害者への加害となる。 
・「小山田圭吾における人間の研究」の引用部分は、サンプリングによるパロディ批評である。

 このように、こべに氏の検証記事には重大な事実誤認が多々あります。特に、私への誹謗中傷はひどいものです。
 誰にでも間違いや誤解はあるので、そのことは責めません。しかし、「過ちて改めざる是を過ちという」(論語)というように、過ちと知っていながら悔い改めないことは、本当の過ちです。
 速やかに記事の訂正をお願い致します。
 また、人気ブロガーという立場で、これまで私に関する誤った情報をツイッターで拡散してきたことにも、善処いただければ幸いでございます。

 電八郎 拝。

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