多文化主義のパラドックス

 サスキアは日本への旅行をとても楽しみにしていた。まずは寿司を食べに行った。トロもウニも、絶品だった。しかし残念だったのは、板前が日本人ではなく、インド人だったことだ。出された料理がカレーなら、こんな気分にはならなかったはずなのだが。
 次に相撲を見に行った。生で見る取り組みは、どれもエキサイティングで興奮した。しかし、力士は白人のアングロサクソンや黒人ばかりだった。
 サスキアは民族差別をするような人間ではない。むしろ、リベラルな多文化主義者であると思っていた。それはつまり、多民族社会の様々な文化を、前向きに楽しんでいたということだ。けれども、それを楽しむには、自分以外の人たちが民族的に異質であり続けなければならない。多くの異なる文化をあれこれ楽しめるのは、他の人たちがゆるぎない単一民族であり続けるからこそだ。
 サスキアが多文化主義者であるためには、他の人たちが単一文化主義者でなければならない。そう考えると、理想的な多文化社会とは、いったいなんなのだろう?
(ジュリアン・パジーニ・向井和美訳『100の思考実験』より。P269-270を改変)
 ダイバーシティーとか共生社会とか言うけど、LGBTにしても、こういう問題について誰か真剣に考えたことがあるのかねえ。

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