英語ができないのは差別か

 ミス・ユニバース世界大会に出場したアメリカ代表の女性らが、ベトナム代表とカンボジア代表は英語ができない、と嘲笑したところ、これが人種差別であると批判が殺到した。
 しかしそれを言うなら、ミス・ユニバースという品評会こそ、女性差別である。
 この程度の失言にかみつく差別に敏感な人たちが、なぜ目の前で行なわれている、世界一の美女を決めるコンテスト、などという愚劣な差別を糾弾しないのか。
 はたして英語ができないのは、差別であろうか。たしかに英語ができなければ進学や就職で差別されることはある。しかし英語は勉強すれば身につくのだから、これは本人の努力で乗り越えられる差別である。一方、人種や性別は、そうではない。外見の美しさも、たいていは生まれつきのものである。
 ミス・コンテストというのは、こうした本人の努力ではどうにもならないもので勝敗を決めるのであるから、これこそ差別でなくて、なんであろうか。

Is it discrimination to ridicule people who can not speak English?
Miss USA Sarah Rose Summers is in the hot seat after making insensitive comments about other Miss Universe contestants' lack of English.
People who oppose discrimination criticized her as a discriminationist.
However, Miss Universe is sexism.
The contest to choose the most beautiful lady in the world is foolish and serious discrimination.
If you oppose discrimination, you must criticize Miss Universe itself.

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