共感しすぎてはいけない

 ポール・ブルーム/高橋洋:訳『反共感論』を読む。「相手の身になって考えましょう」などとよく言われるが、そうした共感がかえって愚かな判断を導き、無関心や残虐な行為を動機付けることになる。
 共感はスポットライトのような性質を持つ。スポットライトはそれが向けられた一点しか照らし出さない。それゆえに私たちの判断をゆがませる。見知らぬ国の人々の苦難が、近所の人々の苦難と変わらずにひどいものであると頭では理解していても、私たちは自分の身近な悲劇の方に共感を抱く。
 両親に虐待されて死んだ3歳の女児をかわいそうと思う人が、イスラエル軍空爆によって100人が死んだというニュースに無関心なのも、こうしたスポットライト効果による認識の歪みである。
 ポール・ブルームは共感(感情)よりも、統計的データや費用対効果に基づいた判断(合理性)を重んじるべきだと説き、次のような例をあげる。

 とりわけ共感は、特定の個人ではなく統計的に見出される結果に対しては反応を示さない。欠陥のあるワクチン接種のせいで、かわいらしい八歳の少女レベッカ・スミスが重病にかかったとしよう。彼女が苦しむところを目のあたりにし、彼女や家族の話を聞いたとすると、あなたは共感を覚え、行動したくなるだろう。だが、ワクチン接種プログラムを中止すれば、数十人の任意の子どもが死ぬとする。この場合、あなたはそれらの子どもに共感を覚えることはないだろう。統計的な数値に共感することなどできないのだから。無数の見知らぬ子どもたちが死ぬより、一人の特定の子どもが死ぬ方がよいと評価するなら、あなたは共感以外の能力を行使していることになる。(45-46頁)

 これは子宮頸がんワクチンの副作用をめぐる問題にも通ずるものである。
 共感は人を動かすが、しかしその行動はしばしば間違うことがある。だから冷静に合理的に判断すべきである。ポール・ブルームは前回紹介した「効果的利他主義」のピーター・シンガーに影響を受けており、その著書からの引用も多い。正しい判断をするには、どこか冷酷にならないとだめなのかも知れない。
 戦争は憎しみの連鎖が引き起こすものだという説があって、憎しみを捨てることをテーマとした映画とか小説とかあるのだが、この憎しみという感情も「共感」によるものである。愛もまた「共感」である。だから反共感というのは、愛も憎しみもすべての感情を捨てるということであり、これは仏教の影響かと思う。
 それで他人に共感するあまり、悲惨な事件の被害者の体験をまるで自分のことのように感じてしまい、生きるのが苦しくなって、精神を病んだりすることもあるので、あまり共感し過ぎないほうがよいという指摘も、なるほどと思った。
 まあ、合理的に考えすぎると目の前に困っている人がいても、発展途上国にはもっと困っている人がいるのだからそういう人を優先的に助けるべきだ、と考えてしまい、考えはするのだけど何もしなくて、結局誰も助けないということにもなりそうだが。

 これは余談であるが、吉本隆明が『戦後思想の荒廃』の中で大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』を批判しているところが、わりと好きなのだが、その理由も反共感にあるところかなと思ったので、長くなるが引用しておきたい。

 また、二十年前の戦争の死者や被害者や不具者を典型的に想定しようとすれば、わたしならば、ざん壕で眠っているとき土砂が崩れおちて死んだ兵士とか、行軍中に病気にかかって行きたおれて死んだ兵士とか、食事中流れ弾丸にあたって戦死した兵士とか、輸送船が沈められて海に没した兵士とか、総じて無意味にたおれた大多数の兵士の死によって戦争の死をかんがえるだろう。おあつらえむきの戦闘に遭遇して死んだある意味でめぐまれた少数の死者で、戦争そのものの実相をかんがえようとしないだろう。また国内の死者や負傷者をかんがえるばあいでも空襲で無意味に死んだり負傷して不具になったりしたひとびとを典型的にかんがえるだろう。戦争はおあつらえむきのものでもなければ、異常なものでもない。だからこそ戦争はおもしろい体験だったとか、軍隊は結構愉しいところだったとかいう大多数の戦争参加者の声も、またジャーナリズムの上ではなく、現実社会の中に潜在的に流れているのだ。こういった大衆の戦争体験の肯定が存在するがゆえに逆説的に戦争そのものの実態が悲惨なのであり、また、戦争はやむをえない当然の国家行為だったと居直る政治権力が、現在もまだ存立しうる根拠があるのだ。これが正当な想像力を持った人間が、戦争と全社会現実の考察からみちびきうる正当な前提である。そしてこの前提から、すべての課題は出発する。
(『吉本隆明全著作集13』勁草書房328-329頁)

反共感論―社会はいかに判断を誤るか

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