本当は怖いイスラム教

 飯山陽『イスラム教の論理』を読む。
 イスラム教は自らを世界で最もすぐれた宗教だとしている。そしてイスラム法による統治こそが絶対的な正義であり、世界を征服することを本気で目指している。自由や人権や民主主義でさえ、これらは西洋由来の思想だから認めない。
「女奴隷とは好き放題にセックスできるし、売り飛ばしてもかまわない」という教義がいまだに守られているというのであるから、人権団体はこういうものにこそ抗議すべきではないか。

 実際に、たとえばエジプト・アズハル大学の女性教授スアード・サーリフは2014年9月に放送されたテレビ講座において、「イスラム教徒が異教徒と戦争をして敵側の女を獲得したならば、その女はイスラム教徒の所有する奴隷となり、その女奴隷を所有した人は彼女と性交をすることができる。それは彼が自分の妻と性交できるのと同様である」と述べています。彼女の主張は特殊でも過激でもなく、どのイスラム法規範の著作にも掲載されているきわめてスタンダードで正当な規定そのものです。
 彼女が教鞭をとるアズハルは世界最大規模のイスラムスンナ派の研究・教育機構であり、エジプト政府の公式発表によると2013年から14年の1年間だけでもそこで学んだ学生数は30万人近くにのぼります。アズハルは世界中にイスラム教の教育機関のネットワークを有しており、そこで学ぶ学生の総数は毎年200万人ともいわれます。つまりアズハル傘下の学校だけでも、世界で毎年およそ200万人が異教徒の殺害や奴隷化は正しいというイスラム法の規範を正課として学んでいるということです。(151-152頁)

 イスラム教は、表現の自由も異教徒の人権も認めないのであるから、イスラム教を冒涜する者を抹殺さえする。2015年には、フランスのシャルリー・エブド紙が掲載した風刺漫画によって、十二人が殺害された。
 ナイジェル・ウォーバートン『「表現の自由」入門』(森村進森村たまき訳・岩波書店)によれば、アヤーン・ヒルシ・アリがテオ・ファン・ゴッホと共に製作した2004年の映画『サブミッション パート・ワン』が公開されると、イスラム教への冒涜だとして、脚本家は脅迫され、監督は殺害された。

 2004四年11月、この映画の監督であるテオ・ファン・ゴッホが、アムステルダムの通りを自転車で走行中に射殺された。彼を殺した犯人、ムハンマド・ブーイェリはコーランからの引用とアリへの脅迫が記された五頁の手紙を彼の胸にピンで留めた。アリは自衛のため隠れて生活することを余儀なくされた。(64頁)

 この映画は、イスラム教によって虐げられる四人の女性を描いたもので、一人は不義を犯したために鞭打ちに処せられ、もう一人は憎悪する男との結婚を強いられ、三人目は夫に殴られ、四人目は兄にレイプされたことを知った父親に捨てられる。youtubeで見ることができる。
 
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イスラム教の論理 (新潮新書)

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