オザケンと反グローバリズム

 小沢健二がいつの間にか音楽活動を再開しているが、熱心に訴えていた反グローバリズムや反資本主義との折り合いはどうなっているのだろうか。Toshiが洗脳から解けてX JAPANに復帰したように、オザケンも洗脳が解けたのだろうか。
 そうではあるまい。ただの変節である。
 山本七平は『「常識」の研究』で、次のように書いている。

 たとえばここに、一人の共産党幹部がいると仮定しよう。かれはもはや、内心ではマルクスレーニン主義を信じておらず、共産主義革命が起こるとも起こそうとも思っていない。しかし彼自身は党幹部として高給をもらい、住宅も保養施設も保証され、車も秘書もお手伝いも党から派遣され、さらにマスコミには評論家としての活動の場を持っている。もし、彼が、自己の内心の信に節を立て、もはや共産主義を信じず革命の必然も必要もないと宣言したら、彼はこのすべてを失わねばならぬ。それは大変に苦痛であるだけでなく、自己の生涯と血の出るような苦難を無にすることになるから、彼にはそれができず、依然として共産主義者として振舞っている。簡単にいえば、こういった状態が「対内的変節」である。(引用終わり)

 小沢健二反グローバリズムを宣言することによって、それまでの富と名声を一度は失った。しかし、そのことに耐えられず、復帰した。
 ああ、そして世界は「灰色」に支配されるんだっけ。知らんけど。

新装版 「常識」の研究 (文春文庫)

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