みやこの西北のとなりのタリラリラン

 中野翠の『あのころ、早稲田で』には、まんまとだまされた。
 新聞広告では「タモリ吉永小百合久米宏田中真紀子村上春樹も同じキャンパスにいた」とあったので、彼らとの交流がつづられてあるのかと思って読んだら、ぜんぜんない。ほんとうにただ、同じ頃に早稲田の学生だったというだけである。
 村上春樹にいたっては、一字ちがいの村瀬春樹という知人がいたという話で、なんじゃこりゃ、である。同じ頃に明治大学には北野武がいた、と書いているのだが、そりゃあ、いただろう。それで付き合いでもあったのかというと、ぜんぜんない。こんなのでいいなら、何とでも書ける。
 東大紛争について、中野翠はこう書いている。

東大生の母親たちは心配して、学生たちにキャラメルを配り、短歌を詠んだ。これはちょっと場違いな印象だった。(141頁)

 細野晴臣らによる「キャラメル・ママ」というバンド名の由来はこれである。
 まあ、今も昔もこういう女はいる。わたしは、東日本大震災が起きた時に、バケツリレーがどうのというくだらぬ短歌を詠んだ俵万智を思い浮かべた。そして中野翠にもそれと似たものを感じる。本書には浮世離れという言葉が何度か出てくるが、ようするに、いいとこのお嬢さんである。

あのころ、早稲田で

あのころ、早稲田で