大喜利の何が芸ですか

 桂歌丸が「裸でお盆持って出てきて何が芸なんですか」と苦言。
 たしかにあんなものは芸ではない。かといって歌丸師匠の落語に芸があるわけではない。おそらく「笑点」に出ていなければ、歌丸師匠はこれほどの人気者にはならなかっただろう。
 落語を守りたいと本気で思っているなら、批判すべきは「笑点」である。大喜利で笑うような客である。しかし「笑点」で名前が売れた歌丸にそれはできない。
 私が思うに、大喜利というのは立派な文化である。発明である。これが日本のお笑い界においていかに画期的だったかというと、さんまもたけしも松本人志太田光も、やってることは大喜利である。お題をふられてボケる、これだけである。「笑点」以後、大喜利を超えるものはいまだ作られていない。
 これは正岡子規が、それまでの俳諧連歌から発句を自立させて、五七五の俳句という文化を作り上げたのに匹敵する発明である。ただし俳句が第二芸術であるように、大喜利も芸ではない。誰にでもできて、誰にでもわかる、それゆえに庶民の文化となった。
 俳諧連歌がすたれて俳句が残ったように、やがて落語が滅んでも大喜利は残る。
www.oricon.co.jp