乱交のゲイ、純愛のレズ

 LGBTというのは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字で、性的少数者を意味するのだが、彼らが性的少数者というだけで一緒くたにされ、手を取り合って街頭パレードをして何かの権利を訴えているのを見ると、どうも違和感を覚える。
 その違和感の正体に気づかされたのが、橘玲『「読まなくていい本」の読書案内』である。ここで橘玲は、スティーブン・ピンカー『人間の本性を考える・心は「空白の石版」か』(NHKブックス)に拠りながら、次のように書いている。

 よく知られているように、ゲイとレズビアンの愛情やセックスのあり方は大きく異なっている。
 ゲイはバーなどのハッテン場でパートナーを探し、サウナでの乱交を好む。エイズが流行する前にサンフランシスコで行なわれた調査では、一〇〇人以上のセックスパートナーを経験したとこたえたゲイは全体の七五%で、そのうち一〇〇〇人以上との回答が四割近くあった。彼らは特定の相手と長期の関係を維持せず、子どもを育てることにもほとんど関心を持たない。
 それに対してレズビアンのカップルはパートナーとの関係を大切にし、養子や人工授精で子どもを得て家庭を営むことも多い。レズビアンの家庭は両親がともに女性だということを除けば(異性愛者の)一般家庭と変わらず、子どもたちはごくふつうに育っていく(母子家庭の子どもよりも社会的に成功する比率が高い)。一方、高齢のゲイ同士のカップルというのはほとんどなく、養子をとることもないので、人生の最後は孤独にさいなまれるのだという。
 ゲイとレズビアンのカップルは、なぜこれほどまでに生き方がちがうのか。進化心理学だけが、この問いに明快な答えを与えることができる。ゲイの乱交とレズビアンの一夫一婦制は、男性と女性の進化論的な戦略のちがいが純化した結果なのだ。(P102-103)

 はたしてレズビアンの純愛カップルは、サウナでの乱交を好むゲイを汚らわしいと思わないのだろうか。
 レズビアンの感性は、ゲイよりも、異性愛者の純愛カップルによほど近い。浮気しまくりで子育てもしないゲイに同性婚という制度は何の意味があるのか。