皇室関連の報道では、新聞でもテレビでも過剰なくらいに敬語が使われる。法の下の平等からすると、これはおかしいのではないか、という意見がある。しかし逆の立場からみると、皇室の方々もまた敬語で話されているのである。なぜ皇室の方々は、国民に対して敬語をお使いになられるのであろうか。タメ口でいいではないか。
これに着目して考察したのが浅田秀子の『「敬語」論』(勉誠出版)であり、次のように述べている。
日本語の敬語の伝統的な考え方からすれば、天皇・皇族は日本の最上位者であるから、誰に対しても敬語を使う必要はないはずである。しかし、現在では敬語を使うことがその人の品位を表すと考えられ、上品な人、あるいは上品だと思われたい人は、本来敬語を使う必要のない目下にまで使うのである。だから、この使い方は伝統的な敬語の使い方とは違うと見なければならない。
私はこの種の、自己の品位を示すために使う敬語を「自己品位語」と呼ぶ。雑誌などで日本語を論ずるとき、よく敬語を「美しい日本語」と位置づけるが、そのときイメージされている敬語は、こういうアクセサリーのような使い方をするものである。(引用終わり)
一般的に、敬語というのは目下の者が、目上の者に対して使う言葉である。しかしそれだけなら身分差別に基づいた言葉遣いであり、平等な社会の実現に向けて、敬語廃止運動こそ起こさねばならない。差別につながる「言葉狩り」よりよっぽど根源的な問題である。
その結果、もしかしたらやがて敬語がなくなり、だれもがタメ口で会話するような社会が訪れるのかも知れない。しかしそれと同時に、品位も美しさも失われる。品位も美しさも、差別に基づいているからだ。
- 作者: 浅田秀子
- 出版社/メーカー: 勉誠出版
- 発売日: 2005/09/15
- メディア: 単行本
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