説教番長の行方

「ナイフの行方」というドラマを見る。近年放送された山田太一脚本のドラマはすべて見ているがどれも似たようなものである。立派に生きている市民がいて、それがだらしない市民をしかるのである。
 映画に出てくるとかならず説教をはじめるサミュエル・L・ジャクソンみたいなものである。
 その説教がおもしろいといえば、おもしろい。世の中の風潮について山田太一はそんなふうに考えているのかという興味である。ワイドショーでコメンテーターの意見が気になるようなものである。
 しかしドラマとしては退屈である。登場人物を都合よく配置して、その口を借りて自分の意見を言わせているだけである。結論のきまっている論文を読まされているようなものである。
「ナイフの行方」は設定におかしなところがある。青年が殺意を抱いて通行人に向ってナイフを振り回す、この時点で殺人未遂である。その青年を自宅にかくまえば犯人蔵匿罪である。元警察官の主人公がそれを知らないはずがない。
 無差別殺人をしようとした青年が一ヶ月で改心し、それを「軽い」と主人公はなじる。たしかに軽い。ところがその青年をスナックで働かせ、子持ちのシングルマザーとの仲を取り持って解決というのでは、いかにも軽い。