偽ベートーベンは現代音楽になり得るか

 佐村河内守を現代音楽家として考えてみたい。
 まず、聴力障害のある作曲家で、被爆二世で、HIROSHIMAという交響曲を作って、というようにメディアを利用してわかりやすい物語を広めて、売れる。これが第一段階。つぎに、じつはゴーストライターがいて、経歴もウソッパチで、耳も聞こえていて、ピアノも弾けず作曲もできませんでした、というこれまたわかりやすい物語を暴露して、世間の批判をあびる。これが第二段階。さて、これからである。
 現代音楽家の三輪眞弘に「またりさま」という作品がある。公式サイトにはこの作品の由来が次のように説明されている。

人々から「おまたりさん」として親しまれている「またりさま」は古くから秘境として知られるマタリの谷に伝えられた伝統芸能の名である。収穫祭の終わりに村の未婚男女が集まり奉納されるこの「またりさま」は、若者達が互いの背中だけを見た状態のまま翌日の明け方まで続けられ、毎年静かで不思議な祭りのクライマックスとなる。
輪になるよう列をなして並んだ男女達は邪気払いの鈴と木片を両手に持ち、村に伝わる「鈴カケ」というしきたりに従い、長時間にわたる緊張状態の中でひたすら「演奏」を続ける。決して間違えが許されない厳格に定められた規則によって行われるゲームのようなこの儀式こそは、その厳格さゆえに、村の若者達の団結と心の交流を促す沈黙の祭儀なのである。
http://www.iamas.ac.jp/~mmiwa/XORensemble.html

 しかしこの由来はまったくの虚構であり、実際は、コンピューターで論理的に作成された規則にしたがって、奏者が鈴とカスタネットを鳴らしているのである。音楽は作品がすべてだなどという意見があるが、こうした現代音楽においては、作品(曲)よりも、アイデアやコンセプトの方が重視される。コンセプチュアル・アートなどはまさしくそれであり、絵が描けなくてもコンセプトさえあればアーチストになれる。であるなら、作曲できない作曲家がいてもいい。
 さて、佐村河内守の件であるが、もう一度最初の「設定」に戻って、耳が聞こえない作曲家ということにすればいいと思う。新垣隆がだめなら、代わりに三枝成彰吉松隆にでも曲を書いてもらえばいい。これまでの嘘も「コンセプト」ということにすれば、アーチストもしくは芸人として再出発できそうな気がする。