リンゴの唄の戦争責任

 なかにし礼にとって、「リンゴの唄」は残酷な歌だという。
 戦後すぐに大ヒットした「リンゴの唄」であるが、その作詞をしたサトウハチロ−は太平洋戦争中に軍歌をいくつも書いている。昭和20年2月には、「台湾沖の凱歌」(作曲・古関裕而)という軍歌を作詞しており、これは昭和19年台湾航空戦での日本軍の「大戦果」をたたえた歌だが、その大戦果はじつは大本営の誤認であり、アメリカ艦隊の損害は軽微なものだった。
 そして昭和20年10月、映画「そよかぜ」の主題歌として「リンゴの唄」が発表される。
 なかにし礼は『歌謡曲から「昭和」を読む』の中でこう書いている。

「台湾沖の凱歌」の作詞から「リンゴの唄」の作詞までの間は、七、八か月ほどでしかないだろう。それが、敗戦をはさんで、これほどまでに詩の内容とトーンが変わっているのだ。その表現の落差には驚かざるを得ない。これはサトウが変わったということなのか、それとも軍歌を書いたサトウはほんとうのサトウではなかったということなのか。敗戦直後に、明るく愛らしい「リンゴの唄」の詩を書いたとき、彼の胸にどんな思いが去来したのかを私は知りたい。
(P100より引用)