YMOはたいしたことなかった

 樋口毅宏タモリ論』に佐々木教のことが書いてあって、「日本のロック創世期の、あるバンド」について、次のように語ったという。

現在では伝説化されているロックバンドで、観たものはみな、「歴史の証言者」を気取って熱く語りたがりますが、教さんは至って冷静で、「あれはな、全然たいしたことなかった。みんなして“そうであってほしい”と、後になって記憶を捏造しているだけだ」と、事も無げに語っていました。(P44)

 これはその通りである。それで先日、Eテレ『80年代の逆襲”宮沢章夫の戦後ニッポンカルチャー論”』という番組を見たんだけど、当時YMOがいかにすごかったかという話をしてたんだけど、宮沢章夫によれば、小学校の運動会や給食の時間にもかかっていたとか、あるいは菊地成孔が言うには、暴走族がライディーンを流していて、当時のYMOはヤンキー文化とポップカルチャーのその両方に君臨していた、らしいのだが、これも同様の「伝説化」である。
 そもそも小学生や暴走族が、YMOのなんたるかを理解していたわけがない。コンピューターゲームのBGMっぽいとか、スネークマンショーのコントがおもしろいとか(今聞くとまったく笑えないが)、せいぜいその程度だった。さだまさしのファンだった暴走族がいたくらいだから、YMOを聴いていた暴走族がいたかもしれないが、テクノカットにしていた暴走族はいない。横浜銀蝿中森明菜のほうが圧倒的に人気だったし、暴走族といえば「ゴッドファーザー愛のテーマ」だ。
 聖子ちゃんカットの女の子はいっぱいいたが、テクノカットなんか流行ってもいない。YMOのあとにぞろぞろ出てきたテクノポップのバンドなんか、今見てもダサイが、当時もダサかった。YMOじたいが、ぶさいくな三人組のおっさんだった。YMOのレコードは売れていたが、横浜銀蝿中森明菜松田聖子さだまさしも売れていた。