低俗なものの勝利

 大衆文化とは何か。その答えのひとつが、ジェーン&マイケル・スターン『悪趣味百科』(新潮社・伴田良輔監訳)にある。つまり、悪趣味なのだ。「品の良いものよりも、悪趣味なもの」が求められ、世界を席巻している。
 アメリカは、悪趣味の宝庫である。本書には著者が収集した数々の珍妙なアイテムが、百科事典風に収録されているわけだが、おどろかされるのはその多くが日本に入ってきていて、かっこいいもの、や、おしゃれなもの、となっていることである。日本は、アメリカ文化の強い影響下にある。しかし、われわれは、アメリカ文化というものを根本的に誤解してきたのかもしれない。
 キャデラック、リムジン、ホットパンツ、ジョギング・スーツ、ノヴェルティー商品、チワワ、プードル、Tシャツ、タッパーウェア、デザイナー・ジーンズ、これらも著者に言わせれば悪趣味である。言われてみれば、たしかにそうではないか。本書が扱っているのはアメリカが大量消費時代となる1950年代以降の文化であるが、すでに当時、キャンドル・アート、フェイク・ファー、女性用衛生スプレー、過激な爪の化粧、鼻の美容整形、巨乳、ペット服、豹皮、などの悪趣味文化が花盛りで、セレブな私生活を売りにするガボール姉妹なる人気タレントまでいた。
 やっぱりわれわれは、ずっとアメリカを誤解してきたのではないか。こういうものは、アメリカでは悪趣味とされてきたのである。それを、かっこいい最先端の文化などと思わされてきたのは、やつらの洗脳がそれだけうまかったのである。
「テレソン」の項目から引用しよう。

 見る者をぐったりさせてくれる募金集めのテレビ番組は数々あるが、視聴者に訴えかける迫力でジェリー・ルイスの右に出るものはいない。一九五八年以来毎年欠かさずオンエアされている彼のテレソンは、哀願調テレビ番組の王者である。誘い、乞い、叱りつけ、恥じ入らせ、楽しませながら、昼夜ぶっ通しでお金の勘定をする。視聴者は例外なく搾り取られ、びっくり、あんぐり、とにかく興奮すること間違いなし。
 テレソンは、他のテレビ番組でも、おそらくテレビ以外のどのメディアにおいても見られない、人の感情を揺り動かす一大ページェントなのである。中央には車椅子の子供たちと、大人の障害者たちがいて、そこへウェイン・ニュートンが気取った歩き方で登場。(略)スリット・スカート姿のセクシーな黒人エンターテイナー、ローラ・ファラーナは、すらりと伸びた足を蹴り上げる。それもこれも、視聴者が財布のひもをゆるめてくれるのを願ってのことだ。
 やがて、場内は静まりかえる。消防士協会の小柄な男が緊張した面持ちで進み出て、ジェリー・ルイスに消防署の仲間たち全員からの小切手を差し出す。続いて、健康な子供たちが、走ることのできない子供たちのために学校中を駆けずり回って集めたお金が渡される。そして、お馴染みの電光掲示板。エド・マクマホンがとどろくティンパニーの音とともに、増えていく寄付金額を読み上げる。
 しかし何といっても、セレモニーの大家であり創始者でもあるスター、ジェリー・ルイスがいなければ始まらない。彼は下唇を噛んで涙をこらえ、ジョークをとばし、友人や視聴者を厳しく叱りつけ、汗をかき、歌い、馬鹿なことを言ってはひょこひょこ歩き回り、タバコを次から次へと吸い続ける。観客からもっとお金を引き出せると思えば、恥をかくのも厭わずあらゆる手を尽す。それでいて彼は誇り高く、その自尊心の光明は国内津々浦々を照らす。
 人は建前と本音が微妙に混ざり合うと、きまり悪さにもじもじし、くすくす笑い、勘弁してくれと言い出すものだ。明るい笑いに始まり、人の不幸をネタにするような残酷ジョークに行き着く、過激なコメディーのように。
 テレソンは、テレビ番組を退屈にする規範や慣行を一切壊し、呑み込み、吐き出す。ショービジネスのたわいない冗談から一転して、過酷な個人の悲劇に話がとんだり、涙もろくて優しいはずのジェリーがお金が入ってこないとなると猛烈に怒り出したり……。そのただならぬ狂気走った様子は、見ていて危険に感じられるほどだ。
 お金を乞うために心身の苦痛を見せびらかされるのは、とても嫌なものだが、この物乞いは効果てきめんだ。名士たちがどんなことでもして媚を売るのには胸がむかつくが、それでも彼らは病気の人々を救うために何百万ドルもかき集める。癪に障るが、知らず知らずのうちに引き込まれてしまうのも事実だ。なかなか動かない電光掲示板の数字が、前年度の数字を上回るよう応援せずにテレビを見ていられる人がいるだろうか。悲観にくれる「ジェリーの子供たち」を目の当たりにして、今すぐ助けなければと思わない人がどこの世界にいよう。
(P315-P317・引用終わり)

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