日食を見ることはできない

 日食を直接見ることは危険だというので、厚紙に穴を開けるピンホール方式で観察しようと思っていたのである。しかしピンホールからもれる太陽の小さな光を見て、はたして日食を見たといえるのであろうか。
 日食グラスをかけて太陽を見ている人がいたが、あれだって真っ黒なフィルターによって遮られた日食を見ているわけで、はたしてそれで本当に見たことになるのだろうか。
 太陽を直接見ることはできない。ならば我々は間接的にしか日食を見ることができず、それはカメラで撮影された映像を見ることと、原理的には同じである。「日食グラスで見た」という人が、「テレビのニュースで見た」という人に優越する根拠は何か。
「見る」とはどういうことなのか。なにをもって「見た」とするのか。ここで問題としたいのは、そういう原理的なことである。日食を見ることよりも、たとえば日食の光を浴びるということの方が身体性が高い。見るな、感じろ。さらに言えば、金環日食の時に生きているということにおいては、我々は平等である。
 なにも私が今日にかぎって寝坊して、日食が見れなかったから、ひがんでこういうことを書いているわけではないのである。