代わりにあやまる

 自由報道協会賞の授賞式で、日隅一雄がチベットの高僧の焼身自殺を揶揄するようなスピーチして、猛抗議を受けた。そのときに江川紹子ツイッターで、「先日まで自由報道協会にいた日本人として、心からお詫びします。本人も、誤解をされる発言をしたことを反省し、心が傷ついた方々に謝罪をする文章をブログに掲載していました。できることなら、許してあげてください。一日も早く、チベットに自由と平和の日が来ますように!」と書いて、代わりに謝っていた。
 この時おれは、代わりに謝るというのは、すばらしいなと感心した。
 べつに自分が過ちを犯したわけでもないのに、謝るのである。なんという人格者であろうか。あの人は自分が悪いことをしたわけでもないのに謝った、ということで世間の評判も上々である。他人の代わりに謝ったところで、自分の心はぜんぜん痛まない。むしろ善行を積んだような気持ちになる。謝罪しているのに、誇らしい気持ちになれるのである。弁護士などは、皆そうである。
 そこでおれも、代わりに謝ろうと思う。
 ちょうどキムタクが二度もスピード違反をしていたというニュースを見た。先日までキムタクファンだった日本人として、心からお詫びします。本人も、深く反省し、今後二度とこのようなことがないように誓約すると話しています。できることなら、許してあげてください。一日も早く、キムタクに自由と平和の日が来ますように!