作務衣でろくろを回すバカ

 おれはグルメに興味がないので、これまでにラーメン屋に行ったことが十回くらいしかない、と知人に話したらおどろかれたことがある。逆におれからすれば、なんでみんなそんなにラーメンなんかが好きなの? と思うわけだが。
 速水健朗『ラーメンと愛国』を読む。この国でラーメンが発明され、国民食と呼ばれるに至るまでを社会の変化とあわせて考察してあって、すこぶるおもしろい。後半は社会学の知見を寄せ集めて理屈っぽくなるのが惜しいが、「ラーメンポエム」や「ラーメン哲学本」など、爆笑ネタがいくつもあって飽きさせない。
 要は、マスコミの影響である。流行は作られる、マスコミによって。その一例として、なぜラーメン職人は作務衣を着るのか、という疑問について次のように考察している。

 こうした”作務衣系”がラーメン屋を代表するスタイルとして完全定着を果たすのは、一九九〇年代末のことだ。そしてそのイメージは、おそらくは陶芸家に代表される日本の伝統工芸職人の出で立ちを源泉としている。(中略)
 ここで一応、触れておくが実際の陶芸家は作務衣を着ない。少なくとも、人間国宝クラスの陶芸家が着ている写真などを見た記憶はない。作務衣と陶芸の間には何の関係もないからだ。
 そもそも作務衣は、禅宗の僧侶が日常的な業務=作務の時に着る作業着であるが、いまどきの作務衣と称されている着物は、それとも違い、戦後に甚平とモンペをミックスしたものである。歴史はきわめて浅く、日本の伝統ともまったく関係がない。
 陶芸家=作務衣という誤ったイメージが世間に広まってしまった原因は、おそらく一九九〇年代にCMに出演していた(榊)莫山先生や、お笑い芸人からボクサーを経て絵や書を描き始めた片岡鶴太郎といった書家や画家(彼らを同一の枠に押し込めていいのかはわからないが)にあるのだろう。もしくは、お笑い番組のコントやテレビのCMを経て生まれたものに過ぎない。
 日曜日の陶芸教室には、作務衣姿の生徒さんがいそうだが、玄人にはいない。最近では、玄人が個展を開く際に、世間では作務衣=陶芸家のイメージが定着しているため、わざわざ作務衣を着て会場に行くという話すらあるという。
(P209)

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)

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