生活から遠くはなれて

 嘉村礒多について、小さく狭い世界しか持たないがゆえに確かなものに触れている、と柄谷行人が書いていて、そういう評価のしかたもあるのかと思った。
 それで、伊勢田勝行の手作りアニメを見たとき、そのことを思い出した。この人は自分で描いたマンガを、自分でアニメ化してて、しかも撮影から声優まで全部一人でやっている。技術的に拙かろうが、ここには確かなものがある。
 伊勢田氏のことをネットで調べていると、木持隆司、三峯徹、という人たちの作品を知ってこれまた楽しくなる。人が生きる喜びというのは、こういうことなのだ。どういうことかというと、頼まれもしないことをやる、ということである。
 必ずしなければならないことをなす、というのは仕事であれ生活であれ、つらく、むなしく、つまらない。人はただ生きるために生きるのではない。

 スーパーマーケットの買い物に行って、(男が)むなしく思うのは、消尽するもの(生きるための食べ物)への消費、消費的な消費に耐えられないからである。こんなものに耐えられるのは、母親としての女性以外にあり得ない。
(ブログ「芦田の毎日」より引用)
http://www.ashida.info/blog/2001/04/post_54.html