罰とは何か

 いいこと考えた。とはいえ、オレが考えたわけではなく、考えたのは川崎徹氏である。
『大人の学校・入学編』(静山社文庫)のなかで、こう述べている。

 例えば、これも最近考えた話なんですけど、最近はいろんな犯罪がありますよね。子供の大学の入試で裏工作をしていたのがバレて、頭を剃って山にこもった人がいますね。最近は、すぐ山にこもりますよね、芸能人でも誰でも、何か悪いことをすると、山にこもって反省する。
 それじゃ、あれの逆をやったらどうなんだろう。つまり、悪いことをする前に、山にこもっちゃうわけです。「あいつ、こもったから、そろそろ悪いことするぞ」なんてね。前もって、ためとくわけです。(笑)
 それを延長して考えていくと、懲役というのも、前もってすませておくことができるような制度にしたらどうだろう。人を殺してから二十年刑務所に入るんじゃなくて、なんでもないとき、ヒマなときに、先に二十年入っちゃうわけ。(笑)そうすると、周りのみんなも「あの人は二十年すませてるから、もう人を殺しても平気だ」と考える。
「あいつはコワイぞ。二十年すませてるから、コワイものなしだからな」なんてね。そういうのもアリだと思うんですよ。
 人を殺そうが、刺そうが、殴ったりしてももう安心です。二十年刑務所に入ったなら二十年、それが一年ごとの切符の二十枚つづりになってるわけね。(笑)それを、何かしたときはそれに必要な年数分の切符をポンと置けばいい。「ホラ、二年分だ」「ああそうですか。おそれいりました」って、それですむ。そういう懲役の前払い制度があれば、世の中もだいぶ変わると思うんですけれども。
(同書所収・「川崎徹の無意味講座」P260-261より引用)

 この発想はなかったわ。こうやって「罪と罰」をひっくり返すと、刑法についての解釈が根本的に変わる。