思い出の綿矢りさ

大塚英志『大学論』(講談社新書)より引用。

 ぼくは以前、金原ひとみが話題となった時、彼女の小説をそれよりずっと前、同人誌で目にしていたことのある老批評家が、こういう自傷行為をカミングアウトするような表現をせざるを得ない幼さや危うさを抱えたままの作家を不用意にビジネスにしてしまう文壇の現状を小さなコラムで諌めていたことを読み、深く感銘したことがある。
 確かに表現の世界ではこの「不安定さ」こそが「売り」になることが少なからずある。
 しかし、それは不幸なことだし、「不安定さ」を「売り」にした結果、自らを壊していった作家やまんが家をぼくはたくさん知っている。それは「見せ物」としてはおもしろいかもしれないが、「ものを描く」こととは自らを壊すことだという見解には同意できない。だからといってぼくはビジネスライクに割り切って描け、といっているわけでもない。
(19ページ)

 小説家になるというのは、自分を見世物にすることじゃないのかね。
 金原ひとみなどもそのたぐいで、こんな批評家の心配をよそに、自らを壊すどころか、噂ではイケメン編集者と結婚し子供ももうけているとのこと。ピアスだのイレズミだのリストカットだの、あんなものは全部計算のうちで、女流作家なんてもんは、売れるためには不倫も堕胎も自殺未遂もするし、わが子を虐待したりもしますわ。
「ワザ。ワザ」
 みんな、したたかなもんです。
 で、どうせなら、綿矢りさのことも少しは心配してやればどうか。出版社が囲い込みをやったおかげで、雑文すら発表させてもらえず、マスコミからも遠ざかり、おかげで世間からすっかり忘れられてしまった。あの頃にもっとちやほやされておけばよかった、などといまさら悔いてもしょうがない。
 彼女から若さとかわいらしさをのぞけば、何もないことは、たいていの人が気づいていた。若くてかわいい女の子が小説を書いたから売れただけで、こういう作家の宿命として、今後も文学的な興味で読まれることはあるまい。
 おそらく彼女はかつての栄光を胸に、これから長すぎる余生を、世間の片隅でひっそりと生きていくのであろう。

 さて、大塚英志は『大学論』で、次のように書いている。

 初めて書くことだが、ぼくたち夫婦には子供がいない。そういう人生を選択した理由の一つは、あの夏の日にある。
 宮崎勤の事件について流されるように発言し、国選弁護人とともに一審に関わるようになるなかで、この後、自分が子供を持つ人生を送ることが少なくともあの小さな四人の子供に対してだけは筋が通らない気がしたのだ。
(64ページ)


 左翼ってこういうふうに、なんかを「引き受けて」生きていくのが好きだよな。
 自分は文化人として世間に名を売りたくて連続幼女殺害事件の犯人を弁護したので、うちでは子供を作らない、などという理由で奥さんを説得したわけか。
 埴谷雄高の奥さんもそうだが、こういう男と結婚すると女は苦労するよな。そんなに筋を通したいなら、残酷なホラー漫画の原作で稼いだ金を、被害児童の遺族に寄付すればどうかね。


【追記】こんな書き込みが。子供いるの?
http://d.hatena.ne.jp/d-sakamata/20040117

reds_akaki 2004/01/26 01:03
似てますよォ、生白倉由美を観たら一発でそう思います。というかおーつか氏自体が学生結婚して女の子作った奥さんと別れて「由美」という名前の女の子と同棲している訳で、それで島耕作庄司薫を引いて「団塊世代は」とか謂っている訳ですから。大塚英志の評論は私小説なのです。あ書いちゃった