シナの検閲とグーグル八分

 米Google(グーグル)がシナ本土から撤退し、ネット検索サービスの拠点を香港に移動させた。検索結果の検閲をめぐる同国政府との交渉が物別れに終わり、「言論の自由」が保障されない環境下でのサービス継続は困難と判断した。
 このニュースで、シナの言論統制が再び注目を集めている。シナ本土ではネットで「天安門事件」や「ダライ・ラマ」を検索しても、結果を得ることができない。当局が、反政府的とする語句やサイトを検閲し、それへの接続を遮断しているためだ。
 シナには言論の自由がない、こんな国家のもとでは人民は真実を知ることができない。そういった非難の声が高まっている。

 米国務長官ヒラリー・クリントン氏は今年1月のスピーチで、世界中のインターネットは自由であるべきだと主張し、中国など数カ国を名指しして状況の改善を促した。上院では、オンラインの自由を促進するための議員連盟も結成されている。
ITmedia News2010年03月23日より)


 しかし、である。シナのような独裁国家が、反政府活動をきびしく取り締まり、言論統制を行うことは、歴史上何度も繰り返されてきたことであり、むしろ当然のことである。シナに言論の自由がないことなど、おそらくシナ人でさえ知っているであろう。
 それよりも私が注意を喚起したいのは、「インターネットは自由」だと無邪気に信じられていることの方である。自主検閲を拒否してシナから撤退したグーグルであるが、それなら他国では検閲のない検索サービスを提供しているのだろうか。
 インターネットに親しんでいる人なら「グーグル八分」という言葉を知っている。ある特定のサイトが、グーグルの検索結果からはじかれて、表示されない例がある。おそらくはグーグル内部で、そうした検閲が行われているのであろう。しかしながらたいていの人はそれを気に留めず、あるいはネットは自由だと信じて利用している。シナのあからさまな検閲と比べると、グーグルの方が、より巧妙である。
 思えば、敗戦後の日本がそうした状態にあった。江藤淳の『閉ざされた言語空間』などがあきらかにしたように、連合国軍による占領下での検閲は、巧妙かつ徹底したものだった。そのあげく、日本の新聞社や出版社などは自主的に占領軍の検閲に触れるような内容の出版、用語の使用をしなくなった。GHQは日本の公文書で「大東亜戦争」や「八紘一宇」などの用語を使用することを禁止し、公教育でも使用されなくなり、現在に至っている。
 にもかかわらず、われわれは、戦後アメリカから言論の自由を与えられたと喜んでいるのである。

 検閲が一切ないとみえるような検閲、あるいは検閲されているという事実そのものを知らしめないような検閲、それが「検閲」の本質と言うべきなのだ。
 柄谷行人「検閲と近代・日本・文学」
(所収『隠喩としての建築』講談社学術文庫・172ページ)

閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)

閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)