俺は横になったまま起きている

もーやだ。ジャニーズのタレントが出る芝居はぜんぜんチケット取れないんだもん。
てなわけで、もうあきらめていた蜷川幸雄演出の『血は立ったまま眠っている』ですけど。立見でもいいやと思って当日券を買ったら、これがあなた最前列。はしっこだけど。
そういえば浜辺で亀を助けたことがあって、たぶんあの亀が演劇の神様だったのだろう。それで俺に最前列で見てこいと。ありがたや。
それにしても、客の9割9分9厘が女子だった。男なんて十人もいたのか、しかもそいつらカップルで来てるし。完全にアウェーじゃねえか。席についたら、なんかもう周囲からの、「あんた何様?」という視線がグサリ、グサリ。そりゃ、ヤフオクで5万も出してチケット取ったやつからすると、なにしてくれるん? という気になるわな。知らんがな。
それにしても、なんであのジャニオタというのは話しかけづらいんだ。露骨に男を拒否している態度というか、「私に話しかけないで」光線を全身から発しているというか。すげえ、気まずい。なんでテラヤマの芝居を見に来てこんな気まずい思いをしなきゃならんのか。
ロビーも女子でいっぱいだし、逃げるように男子トイレに行ったらさすがにガラガラで、女子トイレはすごい行列。それでもさすがに男子トイレに入っくるおばちゃんはいなかった。まあ、あの娘らもあと何年かすると、そうなるんだろうが。とにかく着飾っておしゃれしているお嬢さんばかりで、芝居より彼女らの反応の方が気になった。
おれは完全に場違いで、浮きまくり。でも芝居が始まったら、ちょっとはアングラしてたんで、ほっとした。でも寺山修司がまだ本気出してない戯曲だから、そんなに前衛的でもない。初期の大江健三郎の影響があるなと思った。役者がどんどん客席に下りてくるあの演出だと最前列っても、そんなにいい席とはいえないかな。そんなわけで、気づいた点でも書いておこうか。
床屋チームのすごくやせた女性、上半身裸で矯正具をつけてたけど、乳首にはニップレスを貼っていた。でも、しゃがむたびにパンツが見えた。
寺島しのぶのパンツも見えた。さすがに18歳の役は無理があるけど、こういうのもテラヤマっぽいかなと。
江口のりこが美人に見えた。背が高くって舞台に映えるし、もともと美人かも。
窪塚も舞台向きだな、キザなセリフは本人も気に入ってるだろ。
男優がちんこを出す場面があったが、あのちんこは作り物である。いや、おれも最初は本物かと思って、でかいなと思ったのであるが、冷静になって見直したら作り物だとわかった。でも、後ろの席からだと本物に見えたかも。なにしろ小道具職人が丹精込めて本物そっくりに作ったちんこだったから。近くの席の女もびっくりしてたな。あんなものは初めて見たのだろう。そういうわけであのちんこは作り物なので、ジャニオタの貞操は守られた。安心しろ。
首吊りの男は人形で、猫の死体はぬいぐるみ。競走馬の中には人が入っていた(これは、わかるか)。
遠藤ミチロウはマイクをつけていた。もう還暦とは。歌はよかったけど、ギターは新しすぎた。あの時代にはまだエレアコはない。どうしてフォークギターを弾かなかったんだろう。『田園に死す』の三上寛の役どころ。だけど、舞台音楽は洗練されすぎ。『インターナショナル』もヒップホップ調だったし。J・A・シーザーの方がいいな。寺山演劇に一番あうのは、サーカスのジンタだと思う。
パンツの少年だけど、彼が客席に下りてくるたびに、その周囲の女が露骨にいやな顔してた。まあ、セリフを叫ぶたびにツバが飛ぶというのもあったんだけど、ジャニオタには彼のビジュアルが許せなかったんだろう。でも熱演だった。「去年の切符で、去年の汽車に」のセリフはよかった。俺には去年の汽車が走っていくのが見えたぜ。新人らしいけど、これにめげずにがんばってほしい。
俳優のツバが飛んでくる。六平さんが口に含んだ水も。
公衆便所のセットは、こわかった。くみ取り便所の小屋。あれが舞台の上をガンガン移動するだろ、それで舞台の手前までくるんだよ、俺の真ん前だよ。それで役者が便所に入るたびに、ぐらぐら揺れるんだよ。それがこわくて、こわくて。ラストで森田剛が新聞記者に追われて便所に入って、さらに天板に上って首を吊ろうとするだろ、それでもうセットがぐらぐら揺れてんだよ、あれでこっちに倒れてきたら俺は下敷きになって、死ぬな、と思った。やだよ、便所の下敷きになって死ぬの。それで翌日の新聞に、
公衆便所の下敷きになって男性客が死亡
とか出て、2ちゃんねるで笑いものになるのかと思ったら、もう気が気じゃなかった。
それにしても、俺の近くの女は、みごとに森田剛しか見ていなかった。他の役者が何をやろうが、その視線が追っているのは森田剛の姿だけだった。まあ、他の観客も似たようなものだった。
演劇を見たりすると世界が広がるとかいうけど、ジャニオタにはそういうの、ないと思う。せまく自己完結した世界から出る気がないんだもの。もっと他のことに目を向けたら、なんていうのは大きなお世話。ずっと自分の好きなものだけを追いかけてくんだろうな。純粋さは美しい。けれど、そういうお嬢さんたちもやがては妥協してそのへんの男とくっついて、子供をボコボコ産むのかと思うと、おもしろい。
それでも何人かは、その純粋さのまま年老いて、独身のまま死んで、遺品は愛した俳優の写真、というような、せまく自己完結した生涯を送るのかもしれない。

煙草くさき国語教師が言うときに
明日という語は最もかなし
寺山修司『チェホフ祭』)