みんなで君が代を歌おう

 日本の演劇界はいまだにバカ左翼が幅を利かせていてうんざりする。全共闘くずれなんかさっさとくたばれ。
 そういうわけで、永井愛『歌わせたい男たち』(而立書房)。
 この芝居は見てなくて、戯曲だけ読んだ。
 都立高校の卒業式の日に、国歌斉唱をさせたい教師と、それに反対する教師の姿を、コメディタッチで描いたもの。あとがきで、作者は「君が代」反対派の教師の肩を持つようなことを書いているから、たぶんこの作者も左巻きの人なんだろう。
 それで作中のエピソードは実際にあったことをもとにしているそうで、たとえばこんなシーンがある。

与田   前の音楽の先生ね……熱心なクリスチャンでした。それで学校を辞められたんです。
ミチル  え、体調を崩されたと聞きましたが……
与田   ええ、クリスチャンであるがゆえに、卒業式が近づくと、体調を崩された……、もう、おわかりでしょう?
ミチル  いえ、全然……
与田   国家の伴奏をすることに、悩まれてのことなんです。クリスチャンは、どうしても「君が代」を弾くわけにはいかないと、こうおっしゃるんですよ。
ミチル  はぁ、宗教上の理由で?
与田   ええ。聖書には、キリスト以外の神への礼拝を禁じる教えがあるそうですね?
ミチル  だったかな?
与田   その先生はこうおっしゃるんですよ。「君が代」は、何かこの、「天皇陛下への賛美歌」のように思える。そして、天皇陛下神道との関わりが深い。なので、「君が代」の伴奏をすると、神道をも讃えてしまうことになる、とね。
ミチル  はぁ……
(30ページ)

 君が代反対派の教師が、こんなエピソードを得意げに語っているのかと思うと、ヘドが出る。なにがクリスチャンだ。キリスト以外の神を認めないというその不寛容さが、どれだけの殺戮と差別を生んできたか。そんなに自分の信じる宗教だけが大事なら、さっさと教師なんか辞めて、一生を修道院で過ごせばいいのだ。
 神を信じるクリスチャンの前で、我々は、天皇を神と崇める人々がいることを、いささかも恥じる必要はない。
 この戯曲は左翼の方面で評判がよいらしく、有名な演劇賞をいくつも受賞しているわけだが、じつはラストに落とし穴がある。これをどこまで作者が意識して書いたのかは不明だが、ラストシーンで君が代反対派の主張は根拠を失う。
 それはこういう場面だ。
 君が代を歌わせようとする校長先生は、じつは一介の教師であった十数年前、教育関係の雑誌に、学校での「日の丸・君が代」の義務付けに反対する論文を書いていた。反対派からその変節を指摘され、糾弾するビラまでまかれて、追い詰められた校長は屋上に行き、そこから飛び降りることをほのめかしながら演説をする。

 皆さん、そのビラは間違っています。「内心の自由」についての説明が、とくに大きく間違っています。
 私は今なら、こう断言する。国歌を歌いたくない人が、国歌を歌わせられたからといって、その人の内心は決して傷つけられたりしませんよと。
 皆さん、内心とは、内なる心と書くのですよ。内心で何を思おうと、それは誰にもわからない。だから、傷つけることなどできません。
 たとえ国歌の嫌いな人が、「イヤだなぁ」と思いながら歌っても、「イヤだなぁ」と思う内心の自由は、歌っている最中にさえ、しっかり保障されているではありませんか。ここを取り違えている人がいる。内心でイヤだと思うから、起立しない、歌わない。それが内心の自由を守ることだと思い込んでいる人がいる。
 しかし、皆さん。起立しない、歌わないということは、外に現れた行為なんですよ。
「イヤだなぁ」という内心を、そうやって外に出してしまったら、それはもう内心とは言えません。内心は、外に出したら、外心です。外心の自由はどこまでも保障されるものではない。これは公序良俗の観点からして、当然のことでしょう。
 皆さん、これは私だけの独断ではありません。最高裁判所だって、その判決でこう認めているのです。
 国歌のピアノ伴奏をしたくない先生が、職務命令でしかたなく弾いたとしてその先生の内心が傷つけられたことにはならない。
 なぜなら、「あ、職務命令だから弾いてんだな」と思ってもらえる自由が残っているからです。ね、内心は外心にしない限り守られるんだから、憲法的にも全然OKと憲法の番人である最高裁判所が判断しているんです。これを無視していいのでしょうか。
(109-110ページ)

 この芝居を、「日の丸・君が代」反対運動を応援してくれるものと期待して見ていた左翼は、このラストでひっくり返ったのではないか。いや、いまだに左翼がこの芝居を評価しているのをみると、バカ左翼はこの演説の内容を理解できていないのだ。
 この校長先生の言葉は正しい。もとは最高裁判事の言葉だろうが、「日の丸・君が代」反対派はこれに反論しない限り、もう「内心の自由」を盾には使えない。
 映画『パッチギ!』でラジオ局のディレクター役の大友康平が、『イムジン河』を放送するかどうかで揉めたときに、「この世界にはなあ、歌っちゃいけない歌なんかねえんだよ!」と啖呵を切る。この感動的なセリフは、左翼だけのものではなかろう。
歌わせたい男たち』には、反対派の教師に同調して、国歌斉唱をボイコットしようとする生徒は出てきても、教師に向って、「なぜ『君が代』を歌っちゃいけないんですか。歌わせてください」と抗議する生徒は出てこない。
 教師の役目は、自分の思想を生徒に押し付けることなのか。そうではあるまい。いかなる思想でもそれを疑い、自分の頭で考え直して、自分の意見を言える生徒を育てることが、教師の役目であるはずだ。
 そのように思考力を向上させた生徒は、いずれ自分が教えを受けた師の思想をも批判する目を持つであろう。それでいいのである。

Pizzicato Five - "Kimigayo" 君が代

歌わせたい男たち

歌わせたい男たち

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