中島らもと愉快な仲間たち

中島らもの妻・美代子さんが書いた『らも・中島らもとの三十五年』(集英社

二人の出会いは、美代子さんが神戸山手女子短期大学生で19歳、らも氏は灘高校生で18歳、場所は三宮のジャズ喫茶。そこで、らも氏は彼女に一目ぼれをして、交際が始まる。
らも氏は女の子にもてるタイプではなく、女性とつきあったのも美代子さんが初めてだった。
らも氏の実家は歯科医院だったが、美代子さんの実家はさらに裕福で、土地は五万坪、敷地内にはカトリックの教会まであった。家族全員がカトリック信者で、美代子さんも洗礼を受けており、「家族や信者さんたちの愛に包まれ、人を疑うことを知らず、嘘をつかず、誰にでも話しかけて、誰にでもついていく子供だった。」
中学二年生の時に、一学年上のマサオ君から「つきあってほしい」と申し込まれた美代子さんは、恋愛などにまったく関心がなかったのに、とくに嫌いじゃなかったら、つきあうようになる。そして初めてのセックスをする。

私は何の興味もなかったし、好奇心もなかったが、マサオ君がどうしてもしたいと言う。私は、求められれば拒否することができない。人を思いやり、親切にしなくてはいけないからだ。それに、まだ中学二年だったが、私は中学生がセックスすることがいけないことだという倫理観など持っていなくて、喫茶店へ行ってお茶を飲むことの延長線上にある行為のように考えていた。だから、「じゃあ、いいよ」と、差し出された手を握り返すような気持ちで、マサオ君の望みに応えた。
(38ページ)

カトリックってそういう教えだったっけ? という気もするのだが、それはさておき。
中島らもとは4年の交際を経て結婚。大学を卒業した中島らもは、髪を七三に分けて印刷会社に就職し、営業マンとなる。子供も産まれ、新居も建てる。
しかしやがて、らも氏の生活が乱れ始める。カフェバーやディスコに通い詰め、酒や睡眠薬におぼれ、店で知り合った人たちを次々と家に連れてくるようになる。
そんな仲間と一緒になって、らも氏も美代子さんも、睡眠薬、シンナー、咳止めシロップなどをやるようになる。京都のフーテン外国人の間では、中島家は「ヘルハウス(悪魔の館)」と呼ばれていたそうだ。

入れ替わりやってきては数日泊まっていく人もいれば、どっぷり一ヶ月以上居候している人、東京の若いカップルやオーストラリアからの留学生、万引き常習犯の京大卒の男……合わせて十人ほどが居候していたこともあった。私の日記の記録によると、出たり入ったりの人や泊まりっぱなしの人などを入れると、一ヶ月に最高百一人、平均して、のべ六十人から七十人が泊まっていたことになっている。人が多すぎて、お正月に、汲み取り便所のフタがしまらなくなってしまったこともあるほどだ。
(116-117ページ)

家の二階では子供が寝ている。その一階では睡眠薬でラリって、乱交やスワッピングが行われる。中島らもは友人らを家に連れてきて、妻の美代子さんとセックスさせていた。

あの頃、らもも私も何人の人と寝ただろう。
らもは他の女の子とやりたかったんだろう。でも、私は他の人と寝たかったわけではない。ただ、ラリっていたし、そういう雰囲気だったし、何より、私はらもに「彼としいや」と言われるので、少々嫌いな相手とでもやった。
らもは私を、自分のものだと思っていたから、自分の友人や好きな人たちに私を差しだしたのかな。それとも、自分が他の子とするための免罪符だったのかな。そこのところは、よくわからない。
(119-120ページ)

坊っちゃんとお嬢ちゃんのヒッピーごっこというか、育ちのいい人ほど、その逆の環境に過剰な憧れを抱くというのは、わりにあるように思う。
性の解放とか、そういう理屈でもって、女を共有してフリーセックスにふけるというのはこの世代のヒッピーカルチャーに染まった連中なんかに見られるのだけれども、コミューンとか原始共産制とか、まあなんでもいいけど、そういう暮らしが人間の理想郷なのかといえば、やっぱり男と女の間には愛情とか嫉妬とか憎しみとかが生まれ、悲しんだり傷ついたりするんだなあ。
本書で知ったのだが、「わかぎえふ」とかいう女は、中島らもの若い愛人だったそうで、らも氏の名声と金を利用して、やがて劇団を乗っ取り、女帝として君臨していくくだりは、まるで安手の「痴人の愛」。


らも―中島らもとの三十五年

らも―中島らもとの三十五年