金がないのは

西原理恵子がよく「金がないのは首がないのと同じ」という言葉を使ってるんだけど、ネットで調べると、もとは歌舞伎にあるセリフらしい。いやこれも近松の戯曲にはないらしいので、役者のアドリブとか。
しかしまあ、西原が歌舞伎を観ているわけもないので、たぶんこういう言い回しが俗な界隈で流布してるのだろう。Vシネマにもあったような気がする。

パパラギ・はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集』(立風書房・岡崎照男訳)という本がある。 この本の初版は1920年
内容はというと、未開の地サモアの酋長ツイアビが、ヨーロッパにやってきて、白人文化に初めて触れて、その感想をいろいろ話している。その本にこんな記述がある。

私はたったひとつだけ、ヨーロッパでもお金を取られない、だれにでも好きなだけできることを見つけた。空気を吸うこと。
だがしかし、それも実際には忘れられているだけだと思う。私がこんなことを話しているのを、ヨーロッパ人に聞かれでもしたら、息をするのにもすぐに丸い金属と重たい紙が必要になるだろう。なぜなら、あらゆるヨーロッパ人が四六時中、新しくお金を取る理由を探しているのだから。
ヨーロッパでは、お金がないのは頭がないのと同じ。手足がないのと同じ、何もないのと同じ。おまえはお金を持たなければならぬ。お金は、食べることや、飲むことや、眠ることと同様に大切である。お金をたくさん持っていればいるほど、おまえはいい暮らしができる。


金に対して人間が抱く思いは、誰も同じということか。
しかし言葉というのは、文脈とか、誰がそれを言うかで意味がちがってくる。
「金がないのは首(頭)がないのと同じ」と言いながらも、西原理恵子サモアの酋長の考えは、まったく正反対である。

パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集 (SB文庫)

パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集 (SB文庫)