マンガの神様

読売新聞の記事から
宮崎駿さんの手塚体験「原点だから崇拝しない」

漫画とアニメーションにおける巨匠二人には、有名な“因縁”がある。手塚さんが没した1989年、宮崎さんは雑誌の追悼特集で、アニメーション作家としての手塚治虫を〈店子(たなこ)を集めてムリやり義太夫を聴かせる落語の長屋の大家と同じ〉と痛烈に批判した。


とか、まあ、お二人にはいろんな逸話があるわけですが、おれなんかは宮崎駿手塚治虫を批判していると知って、わりにうれしかったですけどね。そもそも誰であろうと神格化するのは好きじゃないんで。
そんで、宮崎氏のつぎの発言にも含蓄があります。

手塚アニメが〈大家の義太夫〉だという評価は今も変わらない。「しかし、僕は手塚さんがひどいアニメーションを作ったことに、ホッとしたのかもしれません。これで太刀打ちできると」


おれも、宮崎さんの息子がひどいアニメを作ったことにホッとした。これで太刀打ちできると。
ちがうか。
まあ、最低の鞍馬で超えたって、本当にその人を越えたことにはならないってわけです。
しかしお二人は近親憎悪っていうか、共通する土台があるから批判もできるわけで、その土台というのは西洋のモダニズムに影響を受けるだけの教養があったということです。お二人ともインテリだ。
で。手塚・宮崎は知識人でありながら、無学な大衆にも愛される作品を作った。それはすごい。
しかし大衆は同じように梶原一騎のマンガにも熱狂していた。それを同じ「大衆」だと考えることはできるか。その大衆に、手塚・宮崎が作品に込めた意図を読み取る力があるか。


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