バカ正直

社会保険庁にも厚労省にも、まじめな職員はいる。
たしかにその通りである。
暴力団でもない限り、組織のメンバー全員が悪人などということはない。

しかし、トップが悪人であり、強大な権力を持つとき、その組織は腐る。独裁国家が、そうである。

たとえ独裁国家にも、まじめな市民はいる。
ナチスにもポルポトにも、本気で理想を信じた善き人はいただろうし、善き中国人もいれば、善き朝鮮人もいることは、当然である。戦時中にも、善き日本人はいた。

しかし独裁者にとって、従順な善き人ほど、好都合なものはない。彼らは不満も述べず、反抗もせず、不正を告発もしない。
まじめに、忠実に、職務を遂行するだけである。
そして皮肉なことに、そうした善き人の行いこそが、独裁国家を支え、組織の悪徳を永らえさせるのである。

道徳的な善き人は、かならずしも、社会的な善き人とはならない。

映画『ダーウィンの悪夢』に、こんな場面がある。

タンザニアの小さな村は、半年で45人もがエイズで死んだ。
その村の神父は、現状を嘆き、村の女性たちに売春をやめるよう説く。しかし、エイズ予防のためにコンドームの使用を呼びかけることはしない。

なぜなら、神父の奉じるカトリックの教えでは、コンドームを使っての性行為は悪徳なのだ。

婚前交渉や同性愛は、カトリックによっても悪徳だから、やめるよう言えるが、コンドームを使えとは、言えない。
それが神父の立場である。

この神父は、「善き人」である。少なくともカトリックの世界では。

カトリックの信者でない者は、この神父を偽善者だといい、コンドームを配布するよう強制もできよう。

しかしそれによって、村のエイズ感染者が減ったとしても、この神父は神の教えに背いたことで、大きな苦悩を、抱え込むにちがいない。