さかもっちゃん

雑誌『サライ』(8月7日号)特集「坂本龍馬を旅する」

龍馬の写真が表紙だったので、初めて読んでみたが、なんだか旅行のガイドブックという作り。

坂本龍馬ゆかりの地の名産品やグルメ、観光スポットなどを紹介。おそらくタイアップ企画だろう、記事だか広告だかわからない。1泊2食で、5万円の宿とか、おれには無縁。

龍馬についても目新しい視点はなく、業績をお手軽にまとめただけ。雑誌が売れなくなると、ますますこういう広告収入だけをあてにして、観光地とタイアップしたテレビの旅行・グルメ番組、みたいな安易な作りばかりとなるのだろう。


龍馬のことを考えていたら、「寺田屋」のニュースを知った。
あの寺田屋は、鳥羽伏見の戦いで焼失していて、現存しているものは建て替えられたものらしい。

寺田屋で龍馬が幕吏に襲われて、柱にはそのときの刀傷や弾痕が残っていたけど、あれは捏造だったんだな。おりょうさんが素っ裸で駆け上がってきた階段も。
まあ、京都だから。


映画『竜馬の妻とその夫と愛人』の監督、市川準が亡くなった。

また龍馬だ。
こういうときに、シンクロニシティを感じる。

つぎは、武田鉄矢あたりが死ぬかもしれない。


2010年の大河ドラマは「龍馬伝」。
坂本龍馬の生涯を、幕末屈指の経済人・岩崎弥太郎の視線から描くオリジナル作品。

この岩崎弥太郎というのは、三菱財閥の創業者である。
なかなかに面白い人物であるが、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』では、次のようなエピソードが描かれている。

若き日の弥太郎は、「無人島を占領するのだ」と思い立ち、藩の汽船に命じ、航海に乗り出したことがある。

目標は、日本海に浮かぶ竹島である。
弥太郎は「大日本土州藩の命を奉じ、岩崎弥太郎この島を発見す」という標柱も積み込んで行った。

竹島がどの国にも属せぬ無人島であることを長崎の朝鮮人から聞き、その上、樹木が抱負にあるというので、伐採夫まで乗せて行った。

ところが竹島に上陸してみると、どうも様子がちがう。

無人島ではなく人がいる。

十数人の半裸の男が現れ、弥太郎らをとりかこんでものめずらしげに見物した。
どの男も朝鮮人らしい。
長老らしい白髪の老人と筆談すると、朝鮮人たちは定住しているのではないが、海獣を獲りに竹島にやってくるのだという。

こういう場合、弥太郎の性格として、失望よりも腹立ちを覚えるたちで、住んでいる者こそ不埒だと思った。

(以下引用)

弥太郎は腹が立ち、
「わしは大日本土佐国の武士岩崎弥太郎というものだ。
きょうからは貴様らも土佐藩の土民になったゆえよろこべ」
と喋りながらそれを文章にし、老人に渡した。
老人は何をいっているという面つきで返事もしなかった。
弥太郎は、菓子を与えた。
するとみなよろこんで食った。
老人はもっとよこせというように掌を出した。

そのあと山のほうに分け入って見ると、材木になるような樹木もなく、垂木というろくでもない雑木がわずかに生えているだけだったので、弥太郎は憤懣のやりばにいよいよ困った。

たまたま、山間に小屋がある。
入ってみると人はおらず、大鍋の下に火が燃えている。
鍋のなかに獺(かわうそ)の死骸が入っていることをみると、丸煮をして皮をとるつもりらしい。

「火を掛けろ」
突如、弥太郎はいった。
下僚の山崎昇六がおどろき、反対した。
それでは朝鮮人たちが可哀そうではないか、というのである。
が、弥太郎はかぶりを振った。
「痛快だ」
というだけが、理由だった。

山崎がさらにとめたが、他の者がわら屋根に火をかけてしまった。
小屋は白煙をあげて燃えはじめた。
「逃げるんじゃ」
弥太郎はまっさきに山を駆け下りた。
そのあと出帆してしまっている。

(『竜馬がゆく・回天篇』文芸春秋・357ページより引用終わり)