済州島からパッチギ

『パッチギ! LOVE&PEACE』を見た。
あいかわらず漫画的な演出に辟易するが、井筒和幸はけっきょく、『仁義なき戦い』を撮りたいんだろう。

笠原和夫は、「わが『やくざ映画』人生」のなかで、こんなことを書いている。

(映画『櫻の園』のプロデューサーに対して)
「あの映画は、出来の良し悪しはともかく、山谷の労働者は見ないよな」と言うと、かれは、
「ああ、山谷の労働者に見てもらわなくても結構なんですよ。どうして見てもらわなくちゃいけないんです? 彼らに向けて作っていませんから」
と宣った。私は吃驚した。
映画は、どんなに貧乏なひとでも(どんなに大金持ちでも)、これは面白そうだと見に来てもらえて、彼らを感激させ拍手させて帰ってもらう、というのが理想であり、映画会社の人間というのは、そういうものを目指して大衆映画を作ってきたはずであった。それが、作る側が、
「見てもらわなくてもいい」
という態度になっている。
このことは、作り手の意識の変化以上に、映画を支える地盤の大変動を窺わせた。
(『映画はやくざなり』新潮社・105ページ)


これは一理あるけど、「山谷の労働者」を、大衆と捉えるのはどうも極端で、『櫻の園』に感動した高校生だって「大衆」であるし、これはこれで立派な大衆映画だと思う。

でまあ、井筒監督の映画というのも、どちらかというと、「山谷の労働者」に向けて作っているような感じです。アクションとかギャグとかの演出が、くどくて、労働者の皆さんはこういうベタなの好きですよね、みたいなかんじが、どうも鼻白む。

不良中学生が教師を苦しめるのと、教師が彼を苦しめるのと、どちらが魂の底から苦しむことが多いか。本当に罪ある者は、はたしてどちらか。と問うたのは、ヘルマン・ヘッセだったか。

キューポラのある街』で、平気で牛乳を盗む不良たちに、牛乳配達の少年が、泣きながら訴えかける。
「おまえたちが牛乳を盗むと、ぼくのバイト代から引かれるんだぞ、それで病気のおふくろのクスリも買えないんだぞ」

『パッチギ』にも、こういう視点があると、もっとよくなったと思う。

駅のホームでケンカする在日朝鮮人と、大学の応援団員と、巻き添えを食った乗客と、責任を取らされて国鉄をクビになった運転士と、店を壊されたキオスクの店員と、アワビを無断で取って食う在日朝鮮人と、それを生活の糧にしている地元の漁師と、映画館でケンカするやつと、巻き添えになった一般客では、
はたして誰がいちばん罪深いか。


教育テレビ『ETV特集』(4月27日)悲劇の島 チェジュ(済州)「4・3事件」在日コリアンの記憶
を見た。
どうやら、『パッチギ』の在日一家のモデルは、この映画のプロデューサーの両親らしい。

舞台挨拶のシーンで、キョンジャが、「私の父は、済州島の出身です」という。また、故売屋の女主人の、「四・三事件では」というセリフ。

その意味を、どれだけの観客が気づいたか。

ウィキペディア済州島四・三事件」によれば、

韓国では伝統的に厳しい済州島差別があり、現在も続いている。
1948年4月3日、済州島で人民遊撃隊の武装蜂起にともなうとされる虐殺事件起こる。南朝鮮労働党が関わっているとされ、政府軍・警察による粛清と鎮圧によって、多くの島民が虐殺された。(済州島四・三事件
それから逃れる為に、自ら日本に渡って来た在日コリアンも多い。しかし、在日コミュニティーの中にもやはり済州島差別が残っている。

差別というのは重層的で、差別されている人たちも、また別の誰かを差別している場合がある。
こうした被差別者の、内なる差別まで描こうとする、井筒監督の蛮勇は、評価したい。


付記

そういえば、「冬のソナタ」のチェ・ジウが初来日した時、当時の小泉首相に面会した。そのとき、小泉純一郎が、
チェ・ジウというのは、チェジュ島と発音が似てますね、なにか関係があるんですか」
とたずねて、気まずい雰囲気になっていたように思う。