それでも誰かがやっている

映画『それでもボクはやってない』は、レンタルで見ればいいやと思ってたのだが、早くもテレビに登場って。早すぎないか。

もうフジテレビが絡んでいる映画は、映画館で見なくていいな。再来週には駄作と評判の『UDON』もやるみたいだし。

しかしまあ、『それでもボクはやってない』は、運転免許の更新の際に見せられる講習ビデオみたいな映画だが、こういうのが映画賞を総なめって、どうなっているのだろう。周防正行監督はこれに味をしめて、社会派監督になるのだろうか。

Shall we ダンス?』のあと長いこと映画を撮らなかったが、そのあたりに事情はよくわからないが、ファーストルック契約というのが、足かせになっていたのか。これもよくわからないが、企画がハリウッドに売れなかったから、撮らせてもらえなかったという解釈でいいのだろうか。他の映画監督のように、貧乏しているわけではなかろうが、働き盛りの時期のブランクで失ったものは、大きいと思う。

それでもボクはやってない』は、最初と最後のテロップですべてが語られていたと思うが、ようするに人権屋が書いた冤罪事件のルポでも読めば、事足りる話だが、刑事裁判で、私選弁護人を雇うのに、いったいくらかかると思っているのか。
母と友人1人しか味方のいない無職の主人公の青年は、どこからその費用を捻出したのか。
そもそも、ミラーマン植草教授のように名声も資産もあるわけではない無職の青年の弁護を、手弁当で引き受ける奇特な弁護士がいるか?

「裁判官が無罪判決を出すには勇気がいる」
というセリフも、「ロス疑惑」がこういう展開になったあとでは、なんとも一面的な正義だ。

有罪になっても、初犯だからどうせ執行猶予はつくだろうし、あの青年にはさほど失うものもないのに、なぜ戦うか。

最後に無罪判決を勝ち取った青年が、じつは痴漢をやっていた、という設定のほうが、よほどリアルな問題作となったであろう。


本当のことをいえば、弁護士に報酬も払えないような人間に法を犯す資格はない筈なのに、多くの人々はあやまって必要から
或いは愚かしさから法を犯すのであった。
三島由紀夫暁の寺新潮文庫・21ページ)