「母べえ」はつらいよ

母べえ』という映画が、大変に評判がよろしいようでございますので、これは女房を質に入れても見にいかねば、と思っております。
 なにしろ主演女優が「永遠のマドンナ」こと、吉永小百合(62)でありますし、それが志田未来(14)、佐藤未来(10)のおばあちゃん役いいえ、「母べえ」役ということからしても、このあたりのキャスティングの妙は、

「渥美の出るテレビなど絶対に見ない、という頑固な浅草っ子たちがいる」
竹中労『芸能人別帳』ちくま文庫21ページ)

 と書かれた俳優を主役に人情話を作り続けた、山田洋次監督ならではのアイロニーでありまして、原爆詩の朗読と、西武王国の総帥との交際を両立させる吉永小百合さんに、「反戦平和」と「自然破壊」のテーマを象徴させているのです。
 とにかく『母べえ』は大傑作です、泣けます、ぜひ見てください、と、『しんぶん赤旗』の配達員も話しておりました。
 あらすじによりますと、父親が治安維持法で逮捕された家族の物語だそうです。
 まだ映画を見てないので勝手な感想になりますが、特高警察に逮捕されるくらいでありますから、「父べえ」は、危険思想を持つアカなのでしょう。戦前には、「川崎メーデー武装蜂起事件」などのテロや、「赤色ギャング団」による銀行襲撃計画などの不法事案によって、政府から弾圧されて非合法に活動していた日本共産党の党員もしくはシンパだったのでしょう。
 そんな危険分子と一緒に暮らしていた「母べえ」というのも、革命闘争の資金調達のために体を売ったり、ハウスキーパーとして、性奴隷のような扱いを受けていたことでしょう。
 ああ、おそろしい時代、おそろしい人たちです。
 当時のアカの目的は、日本の敗戦と、共産主義革命の成就です。
 昭和7年(1932年)、国際共産党執行委員会は日本共産党に対し、「日本に於ける情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」(通称「三二テーゼ」)を与えます。その具体的な「革命プログラム」戦略は、大陸における戦争を「内乱に転化」すること。つまり、戦争の混乱に乗じて、革命闘争を有利に進めようとしていたのです。

革命的階級は、反革命戦争の場合には、たゞ自国政府の敗北を願ふばかりである。政府の軍隊の敗北は、日本に於ける天皇の政府を弱め、支配階級に対する内乱を容易にする。
(中略)
中国又はソヴェート同盟に対する帝国戦争の諸関係の下に於ては、日本の共産主義者はたゞに敗北主義者たるばかりでなく、更に進んでソヴェート同盟の勝利と中国々民の解放とのために積極的に戦はねばならぬ。


 ようするに日本の共産主義者の任務は、日本の軍隊を敗北に導くために、敗北主義の立場を取ることだったが、それだけではまだ足りない。「ソ連の勝利と、中国国民の解放のために、戦争を長期化させ、泥沼化させて、厭戦気分を醸成し、内乱の契機を作らなければならない」という指令なのである。
 具体的には、「鉄道、汽船、及び軍事工業に於てストライキを遂行するために全力をつくさねばならぬ。大衆行動と革命的反戦行動は、次から次へと益々広汎に展開されねばならぬ。その際ゼネラル・ストライキの宣言とその武装蜂起への転化が目指さるべきである」ということであった。
(これについては、亀井秀雄氏の論考小林多喜二という「不死の死」から引用させていただきました。それによれば、「共産党が多喜二や百合子の読み方を管理してきた」という)
 そういうわけでございますから、「母べえ」も、アカの協力者として国防献金徴収反対などの「生活闘争」をすすめ、日本が戦争に負けて、はやく共産主義の社会になることを、願っていたにちがいありません。
 アカが唱える「反戦平和」という美名にだまされてはなりません。革命のためにどれだけの尊い命が犠牲になったことでしょう。革命とは、破壊であり、殺人です。
 今も世界の多くの国々で、革命闘争が行われています。
 革命反対!
 私たちは、革命に反対し、世界から革命をなくし、もう二度と、革命で人が死なないよう努力しなければなりません。
 アカどもというのは、「反戦平和」という美名で、日本を弱体化せしめ、それに乗じて内乱を起こし、暴力革命によってプロレタリアート独裁を打ち立て、国家を死滅させるつもりなのです。レーニンは次のようにはっきり書いています。

 恥しらずにもマルクス主義を歪曲している日和見主義者は、したがってエンゲルスがここで問題にしているのは民主主義の「眠りこみ」と「死滅」であるということに、だれひとり気づかないのである。これは、一見はなはだ奇異に思われる。
 しかし、このことが「理解できない」のは、民主主義もまた国家であり、したがって、国家が死滅するときには民主主義もまた消滅する、ということをよく考えたことのない人だけである。
 ブルジョア国家を「廃絶」することができるのは、革命だけである。
 国家一般、すなわちもっとも完全な民主主義は、「死滅」するほかはない。
(レーニン『国家と革命』第一章・四 国家の「死滅」と暴力革命)

 さて、こうした戦前のアカどもの活躍が、その名も『実録・日本共産党』として映画化が、企画されたこともありました。笠原和夫による脚本も完成しており、雑誌『en-taxi』11号付録にて読めます。
 鈴木邦男『言論の覚悟』(創出版・45ページ)によれば、監督は深作欣二。主演は菅原文太吉永小百合

「実録シリーズ」を撮っていた時、その一環として日本共産党を取り上げようとしたことがあった。といっても今の日共ではなく、武装共産党時代の昔の話を映画にしようとした。
 警官隊とピストルを撃ち合った末に死んだ渡辺政之輔という党幹部の壮絶な人生を中心に話は展開する。
 渡辺役には菅原文太が、また、タイトルは、「いつかギラギラする日」と決まった。ところが映画は出来なかった。
 深作さんが監督で撮ることになっていたので聞いてみた。
 深作さんはなんとしてもやりたいと思った。しかし東映の上層部がウンと言わなかった。また、戦前の日共を扱えば宮本顕治の「スパイ査問事件」にも触れなくてはならない。
 そうなったら政治問題だ。そんなこんなで企画はボツになった。

 このことは、笠原和夫『映画はやくざなり』(新潮社・85ページ)でも書かれている。

 監督はもちろん深作欣二。作さんも大乗り気だった。
 丹野セツは吉永小百合と決まった。
 これは代々木(注・日本共産党)の観客動員が見込めるかもなと目論んだのだが、あにはからんや、代々木と揉めにもめて(例えば、渡政は警官に追い詰められて自殺するが、「あれは官憲に射殺されたのだ」と頑なに主張したかと思えば、一方、「天皇制打倒のビラを撒く場面など今撮られるとまずい」なんて言ってきた)、岡田社長が「もう面倒くさい」と止めにしてしまった。

 逮捕された「父べえ」は、どうやら特高警察の拷問によって死ぬようですが、はて、時代考証にこだわったという『母べえ』に、「スパイ査問事件」や「天皇制打倒のビラ」という、共産党の「実録」が描かれているでしょうか。
 いいえ。
 代々木がそんな映画を許可するはずありませんし、共産党のシンパである山田洋次監督が、わざわざ共産党に都合の悪い歴史を描くわけが、ありません。自分たちに都合の悪いことは、全部なかったことにして、子供たちに伝えればいいんです。
 そういうわけで、美しい「反戦平和」の映画ができあがりました。
 ああ、はやく『母べえ』が見たいです。
 おれは体調が悪くて、映画館に行けそうもないですが、たとえロードショーが終わっても、日本共産党推薦の映画として、あるいは日教組が主導して、全国の体育館や公民館でいつまでも上映されることでしょう。

アカイ
アカイ
母べえ
アカイ

国家と革命 (講談社学術文庫)

国家と革命 (講談社学術文庫)