女たちよ

『巨乳はうらやましいか? Hカップ記者が見た現代おっぱい事情』スーザン・セリグソン著、実川元子・訳

またそんな本を読んで、という声はさておき、この本で、トップフリーという用語を知った。
下半身ではなく、上半身の性の問題。
簡単にいえば、公共の場で、男が上半身裸になることは許容されているのに、なぜ女が、上半身裸になってはいけないのか。

「トップフリー」という言葉は、否定的な意味合いのある「トップレス」の言い換え語。
「上半身裸になる男女同権を求める会」(Topfree Equal Rights Association=TERA)というのが、カナダに存在する。(会長は男性)

いろいろ面白い論点があると思いますが、どういう人がこの運動の賛同者かというと、まずヌーディストね。裸=性、とする見解への挑戦です。

それから、乳房という、「人の命を養い慈しむものをすべてさらけ出したいと願う大地の母的な」ニューエイジ思想の人。

なんでも、街頭で裸になってみると、それまでの自分の悩みから解消されて、「ありのままの私」に目覚めるのだとか。「自分探し」とか「世界にひとつだけの花」とかってのも、けっきょくニューエイジ思想なんだろうね。

それでフェミニズムはこういう運動について、どういう見解をとるのか興味がなくもないけど、日本で実践すれば、話題にはなるでしょうね。乳房は性器ではない、というのはそうかもしれないけど、性器だって泌尿器でもあるし、短小や包茎で悩む男性が、街頭でペニスを露出して、これも世界にひとつだけの個性だと、「ありのままの私」に目覚めるのか、とか、

「おっぱい見せて(性的な意味でなく)」と言えば、おまいら見せてくれるのか、とか。

『巨乳はうらやましいか?』は、タイトルはあれだけど、ジャーナリスティックな本で、著者のスーザンもとても知的で、巨乳はバカ、という偏見にも打ち勝っていますが、写真が一枚も載ってないのは、残念。と思いつつ、スーザンさんは51歳とのことで、やっぱり画像はいらぬ。

いや、じつはネットで調べたら、画像もあった。しかもトップフリーで。本にも書いてあったけど、まあ、みなさん、老いも若きも、街頭やカフェで、乳房を露出して、それをジョーダン・マターという写真家が、カメラに収めて、HPで公開しているわけです。まあ、みなさん、さわやかな顔で、きれいな瞳で、たしかに、ポルノよりアートなんだろうけど、なんか『anan』の読者ヌードみたい。

女の裸を、アートだとか、自己表現だとか、そういう美しい言葉で語られることには、欺瞞があるように思うのだけれども。

巨乳はうらやましいか?―Hカップ記者が見た現代おっぱい事情

巨乳はうらやましいか?―Hカップ記者が見た現代おっぱい事情