あやしい脳科学

森昭雄氏『ゲーム脳の恐怖』の功績というのは、医学博士といえども、信用できない人がいるということを、世にわからせてくれたことだと思う。

それでまあ、茂木健一郎氏の「クオリア」だけど。

小林秀雄賞受賞の『脳と仮想』は、たしか島田雅彦が推薦していたから読んだし、『脳の中の人生』とかで「ゲーム脳」や「脳トレ」を批判していて、この人は信用できるかな、と思っていたのだが、そうこうするうちにテレビにどんどん出演するようになって、「アハ体験は、脳を活性化する」なんてこと言うようになって、なんだかなあ、と思うようになりました。

脳科学というものについて、おれは素人であるし、素人ながら、玄人の仕事に期待していたわけですが。でも最近は、茂木先生をテレビで見ても、高田万由子の夫のバイオリニストに似てるな、と思うぐらいで。

そういうわけで、専門家筋からの茂木批判をネットで探したら、斎藤環氏が、かなり辛辣にやっておられた。

斎藤環茂木健一郎の往復書簡「脳は心を記述できるか」(現在はリンク切れ)より

私にとっての倫理とは、まずなによりも、「美」や「実感」に最大の価値を見いださないための、思考の拘束具です。どのような意味でも、「美」は倫理の基準にはなりえません。

たとえば、リーフェンシュタールの写真集『ヌバ』は安心して褒められますが、彼女が監督したベルリン・オリンピックの記録映画『オリンピア』については、多くの人が複雑な表情で黙り込むでしょう。ほとんど同質の美が描かれているにもかかわらず、です。

あるいは、爆発四散するスペースシャトル・チャレンジャーや
炎上崩壊するWTC(ワールド・トレード・センター)にある種の崇高美を感じずにすますには、ほとんど洗脳に近い倫理的トレーニングで認知を歪めておく必要があるでしょう。

しかし、たとえば後者をうっかり「宇宙全体で想像しうる最大の芸術作品」と素直すぎる発言をしてしまった音楽家シュトックハウゼンがどんなめにあったかは、すでにご存じのとおりです。


これは往復書簡という企画で、茂木氏もそれを了解していたそうだが、もう4ヶ月が過ぎているのに、斎藤氏の批判に対し、茂木氏は回答を寄せていない。これでは敵前逃亡といわれても、しかたあるまい。斎藤氏の批判には意義があると思うので、このまま放置しないで、ぜひお二人で対談でもして欲しい。