コラムの書き方

福田和也『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』1、2

まあ、こういう本は、イチローに「毎年3割を打つ方法」を、たずねるようなもの。彼と我とでは、そもそも才能が違う。

毎月刊行されている新書をすべて読む宮崎哲弥は、自分より読書量の多い人に、福田和也の名を挙げ、その福田は、坪内祐三の方が倍は読んでいると語る。
しかし、宮崎氏は小説はほとんど読まないというし、坪内氏も、たしか推理小説は一切読まないというから、それぞれに傾向はある。

宮台真司がじつはあまり英語ができない、というのを最近知ったのだが、小浜逸郎も、自分は「原書にはただの一度もまともにあたったことがありません」(『頭はよくならない』P121)
と書いている。

『三百枚書く私の方法2』であるが、福田先生が大学のゼミで学生に教えている、コラムの書き方が紹介されている。

コラムに必要なのは、「情報」「分析」「解釈」「価値」の4つ。

【情報】
映画『キル・ビル』でいうと、監督名、俳優、ストーリー、映画館で見たときの客層など。どのような水準の情報を、読み手に提供するか。

【分析】
情報を整理し、文脈をつける。元ネタや、他の作品との比較、参照。ここまでは客観的な記述。

【解釈】
ここからは主観的になる。「分析」で作られた文脈に、意味を与える。
「『キル・ビル』で、流血の表現が、たいしたショックを与えていないのは、コンテがなってないからだ」

【価値】
作品に対する書き手の判断を下す。
「『キル・ビル』は、見るに値しない。レンタルでいい」
書き手は、読者に働きかけをする。コラムの内容が有効であるならば、読者も行動する。何らかの反応を読者から引き出せなければ、書いた意味はない。
ネガティブなものでもいい。読者を怒らせたり、不快にさせてもかまわない。読みとばされる文章など、書いても何の意味もない。
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これで考えると、『ぴあ』のような雑誌には、情報だけがある。
対して、ネットの掲示板は、価値に関する書き込みが多い。(有益な情報もあるにはあるが)